まろまろ一笑懸命 実はスゴかった!戦後の昭和歌謡史4時間スペシャル

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この番組のまとめ

芸歴は?今では考えられない経験をされてきた皆さん想像もつかないすごすぎる戦後まもない頃の歌謡界を語る1945年終戦を迎えた日本戦後の日本歌謡史は焼け野原から聞こえてきたこの1曲から始まった♪~「リンゴの気持はよく分る」♪~「リンゴ可愛や可愛やリンゴ」そして、1949年あの昭和の歌姫が時は1950年代に移り…51年ラジオで『第1回紅白歌合戦』の放送が開始ちなみに、この頃は1時間番組だった江利チエミさらに…雪村:♪~「Till Iwaltz again」♪~「with you」♪~「Let no otherh

裕次郎といえば石原裕次郎歌に、演技と大活躍し今なお、愛され続ける伝説のスーパースターだが…あの国民的スターの超貴重ダンスとは?若かりし石原裕次郎とペギー葉山が共演した映画とは?ペギー葉山と共演した映画ですごい姿を見せていた♪~「恋を探しに」♪~「ゴーゴーゴーゴーゴーゴー」♪~「名誉もお金もいらないけれど」しんまろ:脚、長えな!♪~「これが僕らの恋…」こちらがドラマ『はぐれ刑事純情派』でのきみまろの演技シーンお話を戻しテレビの本放送が始まったのは1953年この曲は、日本より先にブラジルやハワイで、大ヒット当

そのすごさとは…終戦から、まもなく10年を迎えようとしていた日本アメリカ文化がより浸透し始め…1954年はアメリカのセックスシンボルマリリン・モンローが来日し熱烈な歓迎を受けた街では『ローマの休日』が話題となりヘプバーンカットが流行ビキニが生まれたのもこの頃日本が海外文化を取り入れ始めた、そんな時現れたのが世界中の若者を熱狂させた男エルヴィス・プレスリーだったエルヴィスそんな奇跡的なタイミングの重なりによって生まれたのがロカビリーブームなのだローラ:うわあ!きみまろ:へえ~!すごい人物たちそして、今回、な

あの…なんですかね?そんな3人が語るのは今のアイドルとは、ひと味違うすごいエピソード1960年代のテレビには渡辺プロダクションのタレントが数多く出演その原点といえるのが日劇ウエスタンカーニバルの成功その人気を支えていたのが渡辺プロダクション所属のスターたちだったのだそして、またしても渡辺プロに国民的歌手が誕生!それが、双子のデュオザ・ピーナッツ♪~「私の胸に、今日もひらく」この2人が歌うトータルレコード売上は1000万枚以上1週間に20曲もの新曲を覚えなければならない事もあったが、何気ない顔で練習していた

若者たちは、夢や希望友情や恋愛が詰まった学園生活に憧れを抱くようになっていくそんな気持ちを歌ったのが…デビュー曲の『高校三年生』は220万枚の大ヒットを記録舟木:♪~「ああ 高校三年生」レコードジャケットで着ている学ランは舟木が高校時代実際に着ていたものこの学ラン、そして八重歯は舟木のトレードマークとなった続いて3人の中では先輩格の橋幸夫橋:♪~「星よりひそかに雨よりやさしく」♪~「あの娘はいつも」日本映画の新たなジャンルとして映画界を盛り上げていったそして、一番最後にデビューしたのが西郷輝彦西郷:♪~「

時代は移り青春の巨匠、森田健作が登場森田:♪~「さよならは誰に言う」ドラマ『おれは男だ!』の主題歌にもなり森田健作イコール青春というイメージを決定づけたこうして、青春歌謡は若者たちの心を駆け抜けていったのだ♪~「さらば涙と言おう」三田:イエーイ!御三家に続き青春歌謡を盛り上げ羨望のまなざしを浴び続けてきた3人だが、その栄光の裏には知られざる様々な苦労が…ローラ:へえ~、いい話。

アメリカのエレキバンドザ・ベンチャーズ日本の若者たちはそれまで見た事も聞いた事もない演奏と魅惑のサウンドに衝撃を受け…さらにあの伝説のロックバンド来日で世界中で愛されたザ・ビートルズが日本の音楽業界に革命を巻き起こす!自ら演奏し、自ら歌うという新たな音楽のスタイルが確立し日本でもその先駆けともいえるジャッキー吉川とブルー・コメッツが登場ビートルズが奏でるブリティッシュサウンドの流れをくんだ『青い瞳』をリリースしたところ50万枚のヒット!これを機に、一気にグループサウンズブームに火がつく!そして、ブルー・コ

グループサウンズブーム最盛期に最大のヒットを飛ばしたのが本日のゲスト、今陽子がいたピンキーとキラーズなんとオリコン17週1位という前人未到の大記録を打ち立てたローラ:えー!すごいハード。 全盛期には100組を超えるグループサウンズが出現そんな中過激なパフォーマンスのグループが登場!それがオックスなんと、オックスはステージでメンバーが失神するという過激なパフォーマンスで当時、話題となったオックスが1部でピンキーとキラーズが2部だったんですよ。

ムード歌謡という名前にあまり、なじみがない方もいるかもしれないが…始まりは1950年代戦後、米兵を相手に活動していたバンドが都会のナイトクラブに移り演奏を始めた事がきっかけとされている銀座や赤坂などネオン街を舞台とした男女の恋愛模様を歌った歌詞で大人たちを魅了した音楽それがムード歌謡ハワイアンやジャズラテンなど海外の音楽に和の歌謡曲が融合し日本独自の音楽ともいわれるムード歌謡実は、その中には誰もが知っている名曲もたくさん原点とされるのは50年代に活躍したフランク永井そんなムード歌謡をソロではなくコーラスで

1960年代後半になるとマヒナスターズに続けとばかりに数々のグループが現れ始め中でも、歌謡史に偉大な足跡を残した2組がいたまずは…黒沢明とロス・プリモス。 歌謡史に偉大な足跡を残したムード歌謡グループ続いては、棚橋静雄が所属するロス・インディオスムード歌謡♪~「やっぱり忘れられない変わらぬやさしい言葉で私をつつんでしまうだめよ弱いから」ミリオンセラーを記録したこの曲実は、歌謡史にある功績を残していた玉森:ロス・インディオスの『別れても好きな人』のB面が初のカラオケ音源。

1960年代後半GSブームが去り始めた頃に大流行した音楽フォークソングは元々、アメリカの民謡から派生したジャンルの音楽その始まりは1950年代末から1960年代初頭にかけてアメリカで活躍したシンガーたちだといわれその代表格がキングストン・トリオピーター・ポール&マリーそして…♪~「how manydeaths」♪~「will it taketill he knows」ボブ・ディランでは、話を日本に戻しここで問題和製フォークシンガー第1号と呼ばれている歌手は誰でしょうきみまろ:わかりますか?ローラ:えーっと

しんまろ:『虹と雪のバラード』はトワ・エ・モワの曲じゃない?ちなみにこの曲を歌っていた歌手の中にはグループサウンズで登場したピンキーとキラーズもいたそんな世の中を映し出すようこの頃、大流行したのが四畳半フォークや叙情フォークと言われる生き方を見つめる歌♪~「いつも私が待たされた」♪~「洗い髪が芯まで冷えて」♪~「小さな石鹸カタカタ鳴った」♪~「冷たいねって言ったのよ」♪~「二人でこさえたおそろいの」♪~「浴衣も今夜は一人で着ます」♪~「今春が来て君はきれいになった」ばんば:♪~「二人だけのメモリー」♪~「