徹子の部屋 鳳蘭

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この番組のまとめ

娘がいるのもと思ったんですけど孫がいるのもと娘の結婚には…あれでしょ?あのね私が…自分が最初にちょっと好きだった人がいてそれ反対されたんで親に。 「ママの時はそんなの三十何年前。 やっぱり…最初は本当に可愛いけどもう追いかけ回してると疲れる…。 市村正親さんあの人もね自分の子供がもうピアニスト…っていうか「えっ!1歳ちょっとでもうピアノ弾くの?」って言ったら「いやちゃんとこうやって置くんだよ」って。 三十何年前だから覚えてない覚えてない」って言うんですけれど。

それで今15年後だったら私が今知ってる宝塚歌劇団の偉い人は15年後はいらっしゃるかどうかはまだわからないじゃないですか。

「上のお嬢さんが高校2年生下が中学2年生のお母様でいらっしゃいます」「鳳蘭さん今日のお客様です」「まあどうもしばらくで…」「どうもよろしく」「ひと頃なんかあれでしょ?あなたお嬢さん宝塚に入れようとかしたんじゃない?」「それがね駄目なんですよ」「どうしたの?それは」「あのね…まず“ママのようになりたくない”って。 いつもポジティブシンキング…。 ポジティブシンキングで。 お父様とお母様洋服の仕立てを…?洋服屋でした。

「ラフォン」「ラフォン」って呼んでたの。 うちはもう代々犬を飼うと名前は「ラフォン」。 あなたはすごく親孝行でお父様とお母様にお家を造ってさしあげて。 「ホワイトハウス」って言われてた。 両親中国人で須磨と垂水の間に塩屋っていうね映画館もホテルもない…。 もう親はね蛍光灯2つあるのを1個外す節約生活して。 もうだからこのホワイトハウスのね柱にね犬がこうやってねおしっこかけようとしたら「やめろ!」ってもうそれぐらいこの家を大事にしてましたよ父は。 本当にうれしかったんで私も最高の親孝行をしたと思います。

じゃないと本当徹子様にもお会いできなかった…。 そこにマンションが建った時に妹が私に「お姉ちゃんはお金があるからお金を出してほしい」。 「どっちかが片っぽうになった時目の前の…スープの冷めないマンションを買ってくれればそこでどっちか片っぽうになった両方…片っぽうを見るから自分が。 「お姉ちゃんはお金があるから」って言うんでそのマンションを買ったんです私が。 結局父が本当に亡くなって母はそこで8年間妹が面倒を見たの。