サッカー女子日本代表の澤穂希選手が結婚を発表しました。 厳しい戦いに勝利し世界の頂点に立った金メダリストらが今日、凱旋しました。 瀬戸大也選手星奈津美選手そして渡部香生子選手らが会見を行いました。 世界水泳、過去最多の金メダル3個という好成績を残した日本。 今日、競泳の日本代表が帰国。 瀬戸大也、歴史に残る金メダル!バセドウ病を患っていた星は現役を続けるためにわずか9か月前の去年11月手術に踏み切った。 日本のリオオリンピックへの出場権を逃してしまうなど悔し涙も。 鹿児島県の川内原発が今日再稼働しました。
川内原発前に集まった再稼働反対を訴える人々の中には菅元総理の姿も。 川内原発が再稼働した今日経緯を示しております。 そして今日、福島の原発事故後停止してから4年3か月ぶりに再稼働ということになりました。 国内にある商業用原子炉は現在、48基ありますが福島第1原発の事故以降全て停止していました。 今のところ、次に再稼働するのは愛媛県の伊方原発3号機が有力です。
原発から離れた新地町に移転し看護師不足解消を狙ったのだが震災前のレベルには回復していない。 更に、看護師不足が顕著なのが手術室だ。 震災前、10人いた看護師は今ではやっと手術1チーム分の3人。 それも、管理職である高野看護部長を看護師として手術室に立たせた場合の人数だ。 手術室では進行を見ながら器具の準備をするなど入院病棟とは別の経験を積んだ看護師が必要となる。 患者がいる、医師もいる設備もある、だけど看護師が足りないというアンバランスな状況です。
昨日、神奈川県相模原市で中学校の国語の教員採用試験を受けるため受験者36人全員がもうすぐ70回目となる終戦の日。 慰霊の旅を続けられる天皇・皇后両陛下の原点は幼きころに体験された過酷な疎開生活と玉音放送でした。 玉音放送は、こう始まった。 戦争続行そして、本土決戦が叫ばれる中昭和天皇が肉声で終戦の決断を国民に伝えた玉音放送。 玉音放送を聞かれたお二人はやがて、ともに手をとり同じ道を歩むことになる。 ポツダム宣言の受諾日本の運命を決めたあの御前会議がここで開かれたのだ。
今回の原盤の公開を前に両陛下は、御所でこの玉音放送の原盤を聞かれている。 60人ほどの学友とともに疎開されていた陛下は当時、学習院初等科の6年生。 すると、8月2日大本営の陸軍中将が陛下と学友に戦況を伝えるため奥日光にやってきた。 11歳の陛下は東宮大夫らとともに南間ホテルにあった御座所の部屋でそのときを迎えられた。 陛下と美智子さまは出会いそして、結婚された。 今年は東京大空襲の犠牲者に哀悼の意を捧げられ多忙な公務の中皇后・美智子さまはおととい検査入院。
東名高速で海老名ジャンクションを先頭に20kmの渋滞が予想されています。 夜には中央道の相模湖インターチェンジを先頭に30kmの渋滞が予測されています。 お盆期間、車で出かける機会も多いですが国土交通省によりますと全国の高速道路で100km以上ガソリンスタンドがわかりました。 例えば茨城県にある北関東道笠間パーキングエリアと群馬県にある上信越道横川サービスエリアの間は174km。
3日間行方不明だった男性はこちら、急な斜面の下にある2匹がほえるほうへいってみるとそこには、上半身裸の男性が。 学校のプールの必需品、水泳帽。 このプール用水泳帽の草分けといわれるのが東京・墨田区にあるフットマーク。 出迎えてくれたのは水泳帽をかぶったおじいちゃん。 高いシェアを誇るというこちらの水泳帽。 オー、アメージング!オムツカバーで得た技術を生かし当時まだなかったプール用の水泳帽を開発。 40万枚も売れているゆるゴム水泳帽。
やってきたのは木曽郡大桑村にある小瀬木木工所。 そんな小さな木工所に10年前忘れられない出来事が…。 寒天にダイエット効果があると伝えられ人気が爆発したんですが一部からは悲鳴も上がっています。 ダイエット効果を期待して当時、木工所には普段の5倍以上のところてん突きの注文が殺到。 アース製薬といえば蚊取り線香をはじめそんなアース製薬には毎年夏になるとバカ売れするご存じ、ごきぶりホイホイ。 京都市は今日最高気温36.1度を記録しこれで12日連続の猛暑日となりました。
当たり、これスイカでして水菓子屋さんというんですね。 当時は果物のことを水菓子と呼んでいたそうです。 そして、当時は土ぼこりがひどかったのでお店の方から入り口付近に水をまくよう依頼されていたそうです。 大体当時、1杯4文くらいで先ほどの冷や水と同じぐらいの値段だそうです。 というように当時の江戸の夏は大変にぎやかで活気がありまして夏の暑さを楽しんでいた雰囲気さえうかがえましたね。 今日の東京は江戸時代では考えられないほどの暑さ。