徹子の部屋 三上博史

戻る
【スポンサーリンク】
12:00:38▶

この番組のまとめ

何といっても私とはですね母のサンフランシスコの家にこの方が居候みたいにしていらっしゃったっていうところからお話は始まるんですけど。 「あなたと母との関係を知ったのはある日母がサンフランシスコの家におりましてそこに私が電話したのたまたま。

とてもおかしいのはなんで母がサンフランシスコに住んでるかっていうとちょうどうちの母の前に飛行機会社の支店長のお家があって…。 そのあとでサンフランシスコで映画祭があったんですよね。 海象さんと一緒に映画祭にも行ったんで「じゃあちょうこさんに会いに行こうよ」って言って監督を連れてお宅におじゃまして。 母も18~19の時はすごく奇麗でねなんかすごい映画監督から頼まれたって言ったけど奇麗だ奇麗だって言ってくれるけども一人になってみたらただのおばあさんじゃないの」って怒ってたね。

ある時…中学校1年だったかな?金沢のほうに旅行に行って能登のほうを一人で回ってた。 奇麗?それでうわっと思ったけど話しかけるのもまだ中学校1年生2年生…。 「金沢出身なんですけどこれから大学に帰京…東京に戻ってきます…戻るところです」って言うから「ああそうなんですか」。 そうすると東京からはがきが来るんだけど全部絵はがきなんですけど東京タワーとか雷門とか。 中学生のあなたがご覧になっても本当に奇麗だったお姉さん大学生がお手紙来るんだけど絵はがきが雷門とか東京タワーのが来る。

そこから本隊はニュージーランドに移ってオークランドで坂本龍一さんとかたけしさんとか撮影されてたんですけど僕はそこでお役がなくなったのでじゃあ旅に出よう。 ある時…2日目だったかな?ウェリントンだったかな?どこかであるご家庭におじゃました時に「あっ何とかの友達なんだ。 全員…10人ぐらいの子供になっちゃって役者はもう始めてましたけどそういう意味では色んな国で色んな価値観の下で色んな人に会うと芝居の核がいっぱい集められるじゃないですか。 あとで聞いたら昔の新東宝という映画会社のニューフェイスの2期。

と思うんだけどね」って言ったら「性格俳優にだけはなっちゃ駄目よ」って言ったんです。 性格俳優って悪いイメージはないけどなと思って。 それでだからいまだにこう…何ていうかな?娯楽作品にも出たいと思うし自分のやりたい役もやらせてもらえるようにもなりたいしそれを両立させるっていうのが僕の…。 あれはもう万人向けの映画でしたもんね。 ああそうなの?『草迷宮』っていうのが一番最初でしたかね?それが映画だったんです。 それが『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』っていう芝居で。