Qさま!!プレゼンツ 葉加瀬太郎が教える!世界のスゴい音楽家音楽ハカセ3時間SP

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この番組のまとめ

葉加瀬がスゴいと思う15人の音楽偉人、1人目は…このあと、演奏する曲を作ったある音楽家皆さん、わかりますか?清水:ありがとうございます。 何しろこのベートーヴェンという人は恐らく、長いヨーロッパのクラシック音楽の中で最も重要な音楽家の一人と言われているんですけどどう重要かというとまず、この肖像画を見て頂いたらわかるとおりそれまでの時代の作曲家はみんな、もじゃもじゃっとした仕事をするのが、作曲家音楽家の仕事だったんですがベートーヴェンは初めてアーティスト、芸術家であると音楽家はアーティストだと宣言した。

さらに、この『第九』にはベートーヴェンのすごさを物語るある伝説的エピソードが隠されているんです小島:すごい人数!日本では、年末になると必ず耳にする『第九』『魔王』で知られる歌曲の王、シューベルトは1828年31歳の若さで亡くなりそう、2人は9つ目の交響曲つまり『第九』を作ったのち次の10番を作り終える事なく亡くなっているのだ時を超えた『第九』にまつわる音楽家の死亡くなってしまっているのだこの出来事は今も音楽家を恐れさせる恐怖の謎となっている清水:これは、有名な話なんですかね?葉加瀬さん。

葉加瀬:モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』という曲ですけど、日本語で言いますと1つの小さな夜の曲でいいんじゃないでしょうか。 モーツァルトは18世紀後半に活躍したオーストリア出身の作曲家幼い頃から天才ぶりを発揮神童と呼ばれ若き日のベートーヴェンと対面した事も生涯作曲した数は600曲以上そんな彼が作曲を始めたのは…葉加瀬:5歳から作曲をしている。

葉加瀬:モーツァルト自身も浪費家だったと言われています。 さらに弟子のジュスマイヤーの毒殺説や秘密結社フリーメイソンの会員で掟を破ったために暗殺されたなんていう説もあるんですそして、すごすぎるモーツァルトには、こんな話もモーツァルト35歳のある日灰色の服を着た痩せた男が現れた曲作りに取りかかると体調はみるみる悪くなっていくそして…1791年12月35歳の短い生涯を終える大竹:THE ALFEEの方じゃないですか?大竹:桜井さん、桜井さん。

では、ここでモーツァルトの曲にまつわるすごい豆知識から問題優香:問題はこちら。 三村:『きらきら星』ってモーツァルトだったの?葉加瀬:『きらきら星』という民謡のようなヨーロッパで古くから伝わってたメロディーを使って変奏曲、バリエーションを作りました。 清水:お見事!優香:え~、すごい!大竹:なんで?なんで?伊集院:よく当てたな。 正解は、そう、バッハ葉加瀬:いわゆる僕らがよく知ってるバッハこちらですね。 もちろん、曲はバッハの曲演奏のあとに問題が出題されます清水:早かった。

やっぱりヘンデルさんも有名音楽家を当てる早押し問題果たして、誰?オーストリアの作曲家代表作は弦楽四重奏の『皇帝』などちなみに、モーツァルトやベートーヴェンを指導した事もまさしく、交響曲シンフォニーの父というふうに教科書では習います。

大スターピアニストと結婚して大変仲のよかった、おしどり夫婦としても有名だったんですがこのシューマンさんがその、自分でやっておりました音楽の雑誌でVTRのあとに私が解説します当時、二十歳のある若手音楽家が訪問してきたこの男こそ、のちにバッハ、ベートーヴェンと並ぶドイツ音楽3大Bの1人と称されたヨハネス・ブラームスシューマンは、音楽雑誌でもブラームスを大絶賛しかし…2人が出会って半年も経たない、ある日シューマンに異変が起こる聞こえもしないものが聞こえたりする幻聴を訴えはじめるのだ悩みはこれだけでは終わらないピ

宇治原さん、お見事!葉加瀬:ホールでやる時はもう、グラン・カッサ大太鼓で代用してドカーンっていう事あるんだけど葉加瀬がスゴいと思う15人の音楽偉人、9人目は…清水:では、お願い致します。 山崎:ん?そして、ワーグナーにはワグネリアンと呼ばれる熱狂的ファンがおり彼らは、他の音楽には見向きもしませんまさに聞き手を虜にするすごい音楽家なんです!清水:ここまで、歴史上の音楽家について学んできましたがここからは葉加瀬太郎が紹介したい日本のすごい音楽家。

視覚障害を持って生まれてきた辻井君だったがご両親は、どんどん外に連れ出し多くのものに触れさせ体験させたのだというそれがピアノでの豊かな表現力につながったのかもしれないちなみに葉加瀬の少年時代は…葉加瀬:僕はね、遠足とかねあと体育祭とかああいうのは全部休んでましたね。 才能の片鱗を見せながらもとにかく音と遊んでいた赤ちゃんの辻井君そして小学校入学ここで辻井君に運命の出会いが訪れる葉加瀬:小学校1年生の時に本格的にピアノを始めたという事で、いいのかな?辻井:はい。

そして10歳盲学校以外の学生も参加するプロピアニストの登竜門と呼ばれる大会で辻井君は、再び優勝を果たすその時の演奏の様子はというと…両手に鍵盤が乗った一瞬の間があって演奏が始まるとピアノだけでなく会場全体が鳴り出したこの時まだ演奏が終わらないうちから金賞は、あの子のものだねと誰かが、ささやく声が聞こえたのだという葉加瀬:ねえ中学生ぐらいの時割と長くやってた頃って思い出すと1日にどれぐらいピアノ弾いてました?辻井:中学生の途中とか高校生ぐらいになってからはやっぱり、1日8時間ぐらいは練習してましたね。

しかしめんどくさい曲でしょう?葉加瀬が、めんどくさい曲と言うのも無理はないこの曲は、演奏者に課せられる技術的、音楽的要求の高さで有名で一流ピアニストもやすやすとは弾けない難曲ところがこの難曲を辻井君は…辻井:でも、僕は、これこのコンチェルトはすごく大好きなコンチェルトなので非常に、これは絶対このファイナルで弾きたいなっていう気持ちでもちろん選んだんですけれども。

葉加瀬がスゴいと思う15人の音楽偉人続いては、再びこの音楽家のすごいエピソード音楽家のパイオニアは最高の音楽のためには他人のまねも容赦なし?ベートーヴェンがまねて作ってしまった衝撃の曲は…なんと『第九』彼の代表曲である『第九』はパクリだったのか?まずは、ベートーヴェンの『第九』をお聞き頂こうでは、もう一度三村:似てた。

山崎:髪形でこんな違うのかな?色々なベートーヴェンを見て頂いたところでせっかくなので、そのお顔からもう1問出題しましょう清水:変化スタート。 それでは視聴者の皆さんに、もう一度変化終了!皆さん、わかりましたか?では、一番初めにボタンを押した伊集院さんの答えを聞いてみましょう清水:どうぞ。

世界でも一、二を争う人気オペラなのだところがその人気の『カルメン』には知られざるすごい秘話があったんです死ぬ間際に残した最後の言葉である若き日のビゼーは数十曲に及ぶ楽曲を発表するもヒット作が全く出ない売れない作曲家だった食べるためにたくさんのアルバイトをしながら猛烈に忙しい日々を送るビゼーそんな時、完成したのが…『カルメン』だった最終的には、ほとんどいなくなってしまったのだビゼーが亡くなったのはこの初演から、わずか3カ月後37歳の若さだったそんなビゼーが最後に残した言葉「カルメン…なぜ?」一体、この言葉の

大竹:料理の方でも名前は有名になったんですか?ステーキに…ヒレステーキの上にフォアグラをのせてその後、トリュフをのせたものをア・ラ・ロッシーニといいます。