徹子の部屋 笹野高史&ささの翔太親子

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この番組のまとめ

これはですねお父様42歳の時に17歳年下の奥様とちょっと笹野家のご家族の形態をご紹介したいと思います。 お父さんよりも何だか知らないけど翔太君大きくなったね。 僕自身も男ばっかりの兄弟の僕は一番下なんですけどね。 これ小学校5年生かな?これはお父様?はい。 それで11で母親ですから実に可哀想な少年時代ですよね。 僕の子供が…貴斗が小学校5年生の時にねやっぱりちょっとそんなこと考えて今死んじゃったらやっぱり同じような思いさせるからちょっと車の運転には気を付けましょうそうですね。

「父親の自覚ってそんなに…子供ができたらすぐ父親の自覚っていうわけにいかないもんなんですね」「ベビーベッドをレンタルしまして明日退院してくるからっていって一生懸命組み立てて…」「初めてのお子さんの時…?」「ええ」「その時にちっちゃいマットをこうやって敷き詰めて枕…うわーこんなちっちゃい枕…と思って置いて」「奥様は病院なのね?」「はい。

だから本当に長男だからっていうなんか変なリーダーシップ働いちゃってケンカの仲裁したり…。 あれ?そういえば堅太の声聞こえないなっていうことで3番目がいないなっていうことに気付いてストップ!っていうことでギーッて止まってそのままUターンしてガーッて宿に戻ったらやっぱり三男坊置いてきぼりになってて…。 番号点呼が一番早いんですけどね。 点呼が一番早い。 本当に結構すごかったですね。 父さんが逆に結構慌てちゃうんで。

声がガサガサになって本当に声が出なくなっちゃって生活に支障が出るっていうので入院して。 やっぱり母さんがいないと結構大変だったんだなっていうふうに痛感したのが…やっぱり入院してるんでお見舞いに行くんですけどああお母様がね。 結構ショッキングでした。 子供はやっぱりさお母様がそういうことで入院して初めて点滴で顔がむくんでさそんなひどいことになってるのを見ちゃったから忘れられないよねそりゃ。 でもまあ4人の子供を育てるのは本当に大変だったろうということで結婚25年目の時にお父様とお母様はなんか夫婦で…?ええ。

でも僕ムール貝だとか毎日スパゲティでしたから…。 これ実は…イタリアからランペドゥーザ島というところまで足を延ばしましてね。 もう一回言って?ランペドゥーザ島っていうところへ行きましてそこで夜おじさんが…貝殻を売ってるおじさんから買ったんですけどね。 お土産?これは体洗ったりするんですか?ええ。 海綿って何するものかわかんないんですけど洗ったりする?スポンジスポンジスポンジ。 体のスポンジ。 奥さんはねなんか新デザインの洋服だとか色々買って。

どのぐらいで母さん帰ってきたの?でも本当に…1週間10日ぐらいで帰ってくるぐらいだったのでもう…。 だからびっくりしたでしょ?もう本当に。 もう朝自分でとりあえず…学校行かなきゃいけないんで朝自分でご飯作るかなんかしたんですけどとにかくまずくて。 料理がすごいまずくてもうそれ食べながら…でも食べきらないと学校行けないと思って本当泣きながら食ってましたねその飯を。 割とたぶん2人で話し合って仲直りしようっていうことになったと思うので本当にスッと母親がいつもの家庭に帰ってきたっていう感じで。