お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺 3時間スペシャル

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この番組のまとめ

さあ今回のテーマなんですけども源義経ミステリー!ついに世界遺産奥州平泉へ!3時間スペシャルでございます!これは今から源氏と平氏と呼ばれる武士たちが争っていた時代。 なぜこの地が世界遺産なのか?お坊さんと巡るとこの地に隠された義経と仏教の知られざる関係が明らかに!そうですね。 めったに見る事が出来ない中尊寺の国宝金色堂の全てを公開!義経が最期の地としてこの平泉を選んだ最大の謎がこの金色堂で明らかに!これを見れば戦の天才源義経とホントに戦では天才的な力を発揮して数々の戦いで勝って…。

義経は天狗から教わっていたのでしょうか?ここでその稽古を教えた天狗実はある人物ではないのかという説があります。 という方がここで義経に対して『六韜』というですね中国の兵法書があるんですけども有名な。 奇襲作戦など戦術家といわれた義経のゆえんがここにあったんでしょうか。 地形的にこう全面緑なんですがここを下りろって義経が命令してみんなそれは出来ませんよっていう話になったんですがじゃあやってみようって言ってまあ1匹2匹は脚折ったけどいけるじゃないかって…。

この出会いで伝説となっているのが義経の驚異的な身体能力です。 壇ノ浦の戦いで見せたといわれる船から船へと飛び移る大ジャンプ!なぜこんな事が可能だったんでしょうか?実はこのシーンに映っている義経が着てた鎧兜が今残ってるんです。 さらに義経のジャンプ力の秘密が鞍馬寺に。 鞍馬寺にはなんと義経が使用していたという刀が眠っているんです。 ただの山道ですよね?義経公息次ぎの水という岩清水が。 義経が修行の場に向かう途中で飲んでいたという岩清水。

これは4体全部国宝の毘沙門天って事ですか?いや毘沙門天さんはこの右の大きな…。 こちらが平安時代に造られたとされる国宝毘沙門天。 鞍馬寺の毘沙門天。 後の時代ですね戦国武将の武田信玄であったり豊臣秀吉徳川家康そういった名だたる武将がこの毘沙門天さんを拝んでいたというふうにもいわれています。 寺の伝承では数々の武将が拝んだといわれるこの毘沙門天。 あの上杉謙信も自分の旗に毘沙門天の文字を入れるほど崇拝していたようです。 義経も戦いの神毘沙門天のご加護を受けたから勝利を重ねたのかもしれません。

しかしなぜそんな2人が史上最大の兄弟ゲンカを繰り広げる事になったのか?このあと義経が思いの丈をつづり兄頼朝に送ったというこの手紙。 その後兄頼朝と力を合わせ打倒平氏に突き進んだ義経。 この活躍を兄頼朝はよく思っていなかった!?八艘飛びで有名な壇ノ浦の戦い。 鎌倉に入る事を許されなかった義経が兄頼朝に対し思いの丈をつづったもの。 兄頼朝に対する義経の率直な思いが書かれていました。 このように義経はただただ兄頼朝のために戦に勝ち…と。

現在の平泉はこのように浄土を表わす寺や庭園が残る一大仏教都市として2011年に世界遺産に登録された大人気の観光スポットです。 そこを伺うとなぜ義経はその平泉という奥州の地を終焉の地として選んだのかまたミステリーの一つ謎解きが出来るかと思います。 この地は彼にとって一体どんなところだったのでしょうか?というわけで義経第二のふるさととも言える世界遺産の町岩手県平泉を巡り悲劇のヒーロー義経の謎に迫ります。

そして義経が目の当たりにしたのは金銀財宝で彩られた幾多の毛越寺は当時我が国に並ぶものがないと称されるほどの華やかさだったといいます。 実はこの庭園にこそ義経と平泉を関係づける重要な意味が隠されているのです。 毛越寺を訪れた義経は自分の理想の浄土をこの地に見ていたのかもしれません。 お~!およそ800年前義経の目にはどのような光景が映っていたんでしょうか?この場所から義経が見たであろう毛越寺の姿がこちら。 そんな三代秀衡らそれは800年以上前義経が生きた平安時代に造られたといわれる金色に輝く仏像。

世界遺産中尊寺の金色堂。 なぜ義経はこの地を再び訪れ最後の時を過ごしたのか?ここ中尊寺と思います。 まず最初の謎を解明すべく中尊寺境内のすぐ目の前にある場所へ。 なんと中尊寺のすぐ目の前には義経の家来あの弁慶のお墓が。 ちなみに義経や弁慶が亡くなったとされるのは中尊寺から500メートルほどのところにある高館という小高い丘。 中尊寺の何か気づいた事ありませんか?あ~多分あれだと思うんですけど多分あれだと思うって…。 中尊寺を守ってほしいという願いが込められているのかもしれません。

一行が参拝のために立ち寄ったのが弁慶堂。 こちらが義経や弁慶にゆかりのある弁慶堂。 実は実はこちらのお堂には果たして一行は弁慶の等身大の像などがまつられているという弁慶堂へ。 およそ800年前弁慶はどんな願いを込めてこの木像を彫ったのでしょう?だからホントに弁慶ってさっきも…。 最大の恩人三代秀衡は亡くなってしまいます。 幼少の頃から孤独であったであろう義経にとって親同然の三代秀衡の死は耐えがたかった事でしょう。

それではこのあといよいよ義経が愛した中尊寺が誇る国宝金色堂へと向かいます。 そんな黄金都市平泉にあって初代清衡が持てる技術の粋を集めて造り上げた黄金のお堂こそ中尊寺金色堂なのです。 このコンクリート製の覆堂の中で金色堂は当時と変わらぬ光を放っているそうです。 いよいよ義経が愛した国宝金色堂が目の前に!目の前に広がる黄金の世界。 こちらが1124年に奥州藤原氏初代清衡が造り上げたおよそ50年前に大修理が行われ現在の姿に。

この平泉で兄頼朝から義経追討の命が下りました。 悲しい思いを抱えながらも義経はこの金色堂の前で黄金の仏像に手を合わせる事で中央にはですね阿弥陀如来様本尊様ですね。 実は金色堂にはそれで二代の基衡公がお父様と同じように金色堂に入りたいという事で檀を造られて…。 3つの須弥壇の中に左から毛越寺を建立した二代基衡中尊寺を建立した初代清衡そして義経が父と慕った三代秀衡。 義経が金色堂を愛し訪れていた理由がわかります。 そして義経の恩人三代秀衡の棺からは袈裟でございますね。

しかし三代秀衡は義経とともに平泉を守れとの遺言を四代泰衡に残していました。 義経を討つか?鎌倉の頼朝と争うか?四代泰衡は選択を迫られたのです。 さらに義経終焉の地に死の直前を描いた義経の木像が…。 義経が愛した世界遺産平泉には今も多くの人々の思いが眠ります。 義経伝説最後の場所には死の真相をひも解くカギが眠っているのです。 こちらが江戸時代義経供養のために建てられた義経堂。