お兄様が妹さんの肩に手掛けて日当たりのいいところでこんなふうにして幼い時代を過ごしましたご兄妹。 実はこんなセピア色になってるんですけども今日はお兄様の中根喜三郎さんと妹さんの海老名香葉子さんにおいでいただいて色んなお話を伺います。 海老名香葉子さんは皆さんもうよくご存じでいらっしゃるけどもお兄様の喜三郎さんという方は大変な方でして釣り竿を作る職人さんで「竿忠」という昔やっていらしたところの四代目でいらっしゃいます。 つい最近名誉都民にも選ばれていらっしゃるという方でいらっしゃいまして大変な方で。
工程が120種工程あるんです。 それは象牙で糸巻きを付けてそれで下がここでよろしいんですか?皆さんご覧くださいませ。 これ真ん中象牙ですって。 それで初代竿忠が生まれたのが元治元年っていってちょうど池田騒動があったあの時に生まれたんです。 まあとにかく今日は開戦記念日でございます。 今日が太平洋戦争が始まった日です。 それでその江戸和竿の工房…自宅を兼ねた家は下町の本所?はい。 今の墨田区にありまして一瞬にしてそこで東京大空襲で…。
でも沼津から東京大空襲の火が見えたって仰いましたよねいつか。 それでバラバラになってそれでお兄様はそれから今度浮浪児みたいになったんですってね。 先代の金馬師匠だとかあと朝倉文夫先生だとか長谷川伸先生だとか。 金馬師匠のところへ訪ねていってくれたんです。 私…金馬さんって大変な名人だったんだけどこの方ねNHKで私若い時司会しててこういう偉い方たちの番組司会してたんですよ。 そうしたら妹が私を金馬師匠に会わせてくれまして。
それで妹は金馬師匠が預かってくれましたからもう妹の心配はないですから私が一生懸命やればいいっていうこと…。 そこのところから急に人数が…三平さんのところ行ってからお兄様は香葉子さんがいらっしゃらなかったら竿はやってなかったって?竿屋になっていませんでした。 本当にお二人とも戦災孤児になってもう本当に古い話ですけども戦争が終わって70年って今年いわれてますけどそれから…。