徹子の部屋 生稲晃子

戻る
【スポンサーリンク】
12:05:08▶

この番組のまとめ

5年間の間に5回の手術をなさったのとそれが乳がんだったために最終的には奇麗にお治しになったことも含めて5回手術をなさったということを今まで仰らなかったんですけど公表なさったもんですから大変です。 生稲晃子さん今日のお客様です。 もうね生稲さんは本当にね…『ベストテン』にお母様と一緒にいらしたのね。 でもまあ…さっきちょっとお写真がありましたように5年間の間に5回手術…。

でもご主人も…あなたのご主人も随分ハンサムな方なのね素敵な。 ハンサムですか?ハンサムですあなた。 こういうのをハンサムって言わないでどういうのをハンサムって…。 ハンサム。 今風のハンサム。 それからご主人はアイロンかけだとかお料理とかそういうのも全部やってくだすったんですって?全て私より得意なんですね。 ほらハンサムじゃない。 でも比較的あなたにとってありがたいのは楽天的なところがあるご主人?そうですね。

やっぱり自分がつらい時は逆にその言葉がすごく…何だろう?もうちょっと心配してくれてもいいのにって思ったこともありました。 お母様とあなたがいらしてね『ベストテン』でうれしそうにしてらしたのを見てたんでね。 やっぱり母がいればたぶん母にも私色々つらいっていう自分の気持ちを言ってたと思うのでそれが全部主人に言ってしまったので大変だったと思うし申し訳ないと思いますけれども本当ああ母がいればなっていうふうなのを思いました。 2010年のその無料検診がたまたまなんかバタバタしてて締め切りが終わっちゃってたんですね。

それまではなんかもう親は育ててくれるのが当たり前だってたぶんどこかに私あったと思うんですね」「わがまま言ったり生意気言ったりもしてたんですけども思うように自分の子どもを育てながら…まだ5年ですけど」「上手くいかないこともいっぱいあったりして」「上手く最後までね大きくなるまで育てられるのかななんていう不安ってやっぱりあるんですね。 でもやっぱりレギュラーの番組が健康番組だったのでやっぱり最後までやらせていただこうと思ってお話をしなかったんだけど…。

「あっこが乳がんになっちゃった」「診断結果を聞いたのはあれは忘れもしない2011年の4月でした」「もちろん本人はショックで落ち込んでいましたが私も一緒になって暗くなっていてはがんとは闘えないと思い極力平常心でいることに必死でした」「当時娘も5歳になったばかりであっこに負担を掛けないように自分の仕事のスケジュールを調整しながら娘の保育園やあっこの病院の送り迎え食事等の家事をしていました」「2013年の全摘手術の決断をした時は強いあっこの目からポロポロっと涙がこぼれさすがに見ていられなくつらかったです」「ここ