今年の7月から現在までに亡くなった方々今日と明日と2回に分けてお送り申し上げます。 落ち武者の格好をしてね待ってて…こういるとねスタンバイしてたら御殿場で。 何だか知らないけど箱にね…5~6騎馬に乗ったねこれは流鏑馬の先生で大変馬のお上手な方たちばかりが鎧武者になってバッて言ってバーッと馬を飛ばしてね箱をバーン!バーン!と槍で突いてるんですよ。 その時僕ね怖いから成田山のお守りとかねああいうのを高校野球の選手じゃないけどいっぱいここに巻いてたんですよ。 だからエアロビクスでも何でもやんなきゃ…。
♪~『Zumba』これそう?♪~『Zumba』先生についてやるの。 それで普通のをやったけどウケないので空手でやったんですよ『空手鬼太郎』でね。 『空手鬼太郎』。 一時やっぱり形が整ったのは貸本漫画の時です。 貸本漫画?昔から右利きでいらしたんですか?ええ右利きです。 全部普通と同じようにやらされたから…。 元々はそういうふうなおつもりじゃなかったんですって?私ワインをいただく時は仕事中あまり間食とかしませんし仕事終わるまで結構おなかペコペコにしていて。
そうですか?なんか…っていうかワインをおもちゃみたいにファッションっぽくただはやりだから飲んでるっていうふうに書かれたこともあってそれは心外だったし。 プライベートでうんと昔に行った時に今度来る時は絶対ここのボートで朝食を大好きな人と食べるんだって決めたんですね数年前に。
ですから仕事に入ると仕事以外のことは考えられない。 だから例えば毎日この9年間勤めてこられたこの健康を今感謝してるわけね。 それで今僕が心掛けてるのはねとにかく人を傷つけないようなインタビュアーになりたいなと思ってるわけ。 僕はやっぱりね「ラクビアン」って言われましたある作家にね。 「コメディアンと落語家の真ん中いってる」って。 で「ラクビアンだ」って…。 ラクビアンでいいんだと。 4人兄弟でね布団がふた組しかないんですよ。
それでお父様のほうは『文藝春秋』の巻頭のエッセーは100回を超えて…毎月書いていらして。 そうも言わないけども誰か適当な男…私は山形県の新庄といういわゆる東北の山形から急行で1時間ほど行った小さな城下町に生まれ育ったもんですから。 それで中学卒業…旧制中学ですね卒業して東京へ出てきて私は私立大学に入りまして。 それでまあどうしても俳優になりたくて民衆芸術劇場養成所入りましてね。 で同期生に奈良岡朋子さん。