徹子の部屋 追悼特集

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この番組のまとめ

昨日に引き続きまして『徹子の部屋』に出てくださって今年の7月から現在までにお亡くなりになった方々の追悼をお送り申し上げます。 どの方も本当に私大好きな方々ばっかりでした。 阿藤快さんは体に似合わない本当に優しい…包み込んでくださるような優しい方でした。 「黒柳さんあのですね」ってこういうふうにね目線を大体下げて芝居することが多いもんですから「こんなに大きかったんですか?」って言う人もいますねやっぱり。 『教師びんびん物語』のあの先生はいかがだったんですか?御前崎先生…教頭。

「100回歩いて1回いいのができるから回そう」って言うんですよ今度。 もう一回もう一回」。 もう一回もう一回」って言って。 もう一回」って…。 その間にねいつも大体「駄目だ」って言われて「もう一回戻れ」って。 割合人の…全く見ず知らずの人に会って声掛けるとか平気なんですよね。 バブルの頃はね高いものが割にね平気で出てたんですよね。 バブルがはじけたら今度安くていっぱい食べられるっていうものになっていったりだんだん時代のごとに…。

だけどほらエノケンさんっていうとどっちかっていうと日本の喜劇とか映画のもう歴史上の人物っていう感じじゃない?その方の相手役でこれだけお元気って…お若いってすごいわね。 あのね国際劇場のこけら落としが初舞台なのよ。 国際劇場のこけら落としに?…が初舞台なんです。 初舞台?小月冴子さんと同級生。 えー!並木路子さんとも同級生なのよ。 小月冴子さんと同級生?同級生。 それで湯本っていうその温泉街のお宿が全部陸軍病院になってたんです。 あの頃学徒出陣があって小ちゃい人たちは学童疎開でしょ。

それでちょっと花登先生の家で書生してましたんで…。 それで花登先生の「花」をいただいて…。 びっくりしたんですけどこれいい写真なんで雑誌社か新聞社の方がお撮りになったのかと思ったらそうじゃなくて?自分でセルフタイマーで。 当時だとこれだけ大きく伸ばしてるのは専門家が撮らないとと私も思いましたんですけどご自分でお父様が?僕は42の時か…1か2の時の子なんで。 だからお父様の本当のそういった全盛期っていうか漫才の全盛期はご存じ…。 「小田急百貨店」で…。

時代布そして時代衣装のお店「池田」を経営してらっしゃるご主人でいらっしゃいます池田重子さん。 子供の時に千代紙やなんかみんなで少しずつ集めるのが好きだったようにこういうふうに色んな小さな布をこういう…時代布って仰ってらっしゃるけどそういうのをお集めになってこういうお着物になさる時はうれしくていらっしゃる?そうですね。 普段のお声っていうのはやっぱりヒッチコックとはちょっと違うんだけど…。 ヒッチコックの時は例えば…。 「こんばんは皆さん」「『ヒッチコック劇場』にようこそ」ってこのくらいになりますけども。