実はここに日本の平和を願った天下人家康の狙いが隠されていた!さらに数々のお宝に見る本能寺の変から家康の死までの驚きの戦略を大公開!そしてこの東照宮の一番奥には徳川265年の礎を築いた天才政治家徳川家康の墓があります。 家康の遺言に従い死後1年後遺体が移された事を機に創建された日光東照宮。 以来日光山全体が聖地とされており現在は同じく日光山にある輪王寺と日光二荒山神社の3つの建造物群さらにそれを取り巻く遺跡が世界遺産に登録されています。
これあの…仏教の思想ではないんですが主に中国の思想では北極星というのは宇宙を取り仕切る神だっていうふうにして考えられてましたので…。 当時北極星を神とする北辰信仰というものがあり権力者たちはそれを信じて神と一体となろうと考えたそうです。 江戸から北極星の見える北に東照宮を作る事で…。 宇宙を取り仕切る北極星とともに江戸を見守るという壮大なプランがあったのでしょうか?すごいですね。
鳥居に掲げられているのは東照大権現の文字。 長きにわたる戦乱の世をまとめた徳川家康。 今まで敵だった堂者引きの春日さんによるとこの鳥居にはそんな徳川家の力を表すある秘密が隠されているといいます。 こちらは黒田官兵衛の息子長政が寄進したもの。 官兵衛といえば徳川家の敵に当たる豊臣家と関係があったはずですがなぜ寄進をしたのでしょうか?そこに自分の名を刻んだものを置く事は忠誠の証しであり自慢でもあったのでしょう。 結果的に徳川家の力が偉大である事を示したのかもしれませんね。
石鳥居もすごいですが昔から参拝者を驚かせるのが五重塔。 右から寅卯龍の順番に並んでいますがこの五重塔の生き物の並び方には1つの面に3体。 それは徳川歴代将軍の生まれた年にまつわるもの。 でここは家康公秀忠公家光公と全部が…三代将軍が揃ってるんですね。 動物園のない江戸時代多くの参拝者が彫刻を見て驚いた事でしょう!…と派手な彫刻に目がいってしまいがちですがここには徳川家の思いも隠されているんです。 この五重塔はそんな家康のある思いを表しているという説も…。 それが五重塔裏側から見る事が出来るここにそれで…。
これが…スカイツリーの柱も心柱制振と…。 はあ~!はあ〜!現代の最新技術で造られたスカイツリーもこの五重塔を参考にしたといわれています。 いや「うちだったら」ってうちがわかんねえだろ!五重塔を見たあとに参拝者が向かうのは東照宮で最初に建てられた門表門。 この門には知っていたら訪れた時人に教えたくなる長きにわたって続いた戦乱の世をまとめた家康とその遺志を引き継いだ徳川家だからこそのある狙いがあったのです。 東照宮に入る最初の門になぜこんな象の彫刻があるんでしょうか?我々もどうしてなんだろう?って驚いちゃう。
そこに隠された徳川家の思いとは?さらに家康の墓に隠された仕掛けとは?そしてこの新年お坊さんの荒行も公開!派手な建物に目がいきがちな東照宮ですが実は…。 出ました!東照宮と言えば見ざる聞かざる言わざるでおなじみの三猿。 そしてその右側に飾られている二面が有名な三猿です。 人の一生を表したという三猿で有名な猿の彫刻。 それにしても江戸時代の人は物珍しい彫刻やきらびやかな装飾にテンション上がったでしょうね。 この場所がそのスポット…。 その開運スポットの場所がこちら。
そしてこの正面鳥居をくぐりまして今修理中の門がありますが通路を抜けまして…。 アハハハッ!場所は陽明門の正面にある3つ目の三角の手前2つ目のひし形。 ここからは本殿に向かうメインストリート。 階段を上り陽明門を目指しますが実はこのメインストリートの脇に実はここに参勤交代などにより数多くの大名を支配した徳川家のすごさが隠されているんです。 ちなみにご主人様は身長はおいくつなんですか?階段を挟んだ場所には薩摩藩主島津家久の青銅製の燈籠が。
日光東照宮を代表する国宝陽明門を目指す一行。 回転燈籠といいます。 内側部分が回る回転燈籠。 そしてこの回転燈籠はある部分に決定的な間違いがあります。 どうしたんですか?実はここに当時鎖国政策をとっていた徳川家の意外な裏側が垣間見えます。 この回転燈籠は1643年にオランダから寄贈されたもの。 この見落としがちな部分から徳川幕府の心意気と諸外国との関係を読み解く事が出来るんですね。
いよいよ一行は日光東照宮の一番奥家康の墓を目指します。 自分自身の修行というのはそのまま世の中の平和であり人々の幸せに直結をするんだという考え方…。 穴禅定とは通るだけでも険しい洞窟を一番奥へと進む事で御利益を得るという伝説の修行。 弘法大師空海も修行した伝説の洞窟があるのが…。 先達の金児さんの案内で早速洞窟に向かいます。 危険なため入る時には必ず案内人が同行する穴禅定。 ちなみに今回は撮影のため照明をつけていますが普段はロウソク1本で入る穴禅定。
それが他の修行とはまた大きく違ったところなのかなってすごいそれを大変…修行に参加出来たっていう事は大変ありがたい事だなっていうふうに感じました。 そこにあるのが古来日本三大修験山の一つに数えられる英彦山。 しかし最近の調査により謎の地帯を含む英彦山全体はなんと山伏が3000人以上800世帯にも及ぶ巨大宗教集落であった事が解明されたのです。 明治維新の神仏分離令により寺から神社になりました。 これから修行に向かうという実は英彦山ととっても関係の深い人なんです。 普段はここ英彦山神宮の神主さんです。
明智光秀が主君織田信長を自害に追い込み…。 実はこの像には明智光秀を連想させるものが隠されているんです。 さらに明智光秀が天海だったのではないかというこんな伝承も…。 うわ~!息子さんとお孫さんの名前の中にも光秀公のその明智光秀の名前が漢字が入ってるっていう。 家康は朝廷から征夷大将軍に任命された事で江戸に幕府を開く事が出来たのですがなんとその書状がここに展示されているんです。 征夷大将軍に…。 征夷大将軍になりたくて。
この神田明神には家康の今に続く都市計画の謎が…。 その大坂夏の陣で家康が使用した当時のこちらの網代駕篭ですね。 この戦いに勝利を収め豊臣家を滅ぼした家康ですが日光東照宮には不思議なものが…。 中央が御祭神徳川家康公のお神輿です。 源頼朝徳川家康豊臣秀吉を表しているのです。 家康公のご遺体を久能山から日光に移すというその姿を再現する武者行列です。 そんななんと今まで一度も公開されなかった家康の位牌が400回忌を記念して特別公開されているんです。
あの有名な眠り猫がいるところですが東照宮には5000を超える彫り物ありますけども左甚五郎という当時の名人が彫ったものはこれたった一つと言われていますね。 よくね我々ですと左甚五郎が大体日光を作ったような頭でいましたけどもこれだけ?これだけです。 もうそろそろ終わるんでしょうね?「東照宮」は家康公「御遺訓」はご遺言ですから。