お勉強はおできになったそうですけど高校生の頃に100点満点のところ120点お取りになったというそういう大変おできになった方でいらっしゃいまして。 この前おいでになった時は違うお名前だったんですが今日は三遊亭円楽さんでおいでいただきました。 「子供でも大人でもみんなが間違えずに読める名前がいい」。 でもなんかあなたはこの子に贅沢をさせるだけさせてなんか「銀座行ってすき焼き食え」って…。 で親ができなかったけれども俺は今自分の息子にできるなと思うことはしてやろうと。
まあ勉強はねやりたい時ですよね。 だからね勉強を好きだっていう奴嘘つけって言ったんです。 私勉強好きじゃなかったですもん。 深川図書館へ。 大体ね先生にお願いしてね授業はいつも一番前。 だから一番前だと先生が見えるしだからパッと覚えられるんですね。 それで勉強がよくできるっていう子供だったの?だから予習しませんし復習っていっても今言った図書館に行って気になるところを調べる。
ただ今瞬発力なくなりましたね。 だからクイズだったら筆記テストなら出るってこの間言ったんですよ。 だからその…いわゆる記憶力瞬発力がなくなったかな?落語やなんかは瞬間…。 あの方面白い方でしたよね。 落語全集もそうです。 あれ?『圓生全集』の九巻がねえな俺が持って出たかな?って…。 フッと思い出してあそこにあったなっていう記憶はつまりインデックスはあるんだけどもそれがないんですよ元帳が。 同級生同士がね「この頃物忘れが激しくてね…」。 「だったら俺の飲んでるいいサプリメントがあるよ」。
腎臓透析。 腎臓透析にあれだけお通いになって食べるものも制限されてそれでもよくおやりになりましたよね。 だから落語家の仲間が一つ言ってくれるのは「円楽さんが日本国中で落語をやって我々が行きやすくしてくれた」って。 で透析始めた時に「情けねえな」って言うから「師匠ねここまで働いたんですから週に3日神様が休めって言ってくださってるんですよ」って言ったら「おめえ…苦労はわからねえおめえなんかには」言われた時にね余計なことを言ったかなと思いましたけどね。
実の父親が早く亡くなってうちの師匠に育てられて今歌丸師匠に面倒を見てもらってるようなもんですから。 でもこの親はあれですよねフェニックスだったんですよ。 ハゲタカかと思ったらフェニックスって…。 でもね僕に言わせるとねいわば落語界の先頭で『笑点』50年背負って最後の生き残りでいまだに日本全国走り回って後進の指導して…。 それでね新作から入って苦労して古典落語をやってそして今高みへ一番上っていこうとしてるねすごい…。
そのラジオドラマを聞いてそして三代目の金馬師匠の落語を聞いて圓生師匠に憧れてうちの師匠にね引っ張ってもらって歌丸師匠に可愛がってもらってると。 でも私子供…うちもちょっとクラシックの音楽やってたものですから私が落語なんて聞いて笑ってるとね「おやめなさい」って言われるんですよ。 でも本当に私笑ってたんですけど今思うと笑うも道理で当時聞いてたのは全部名人じゃないかと思うんですよ。