大ヒットドラマ『北の国から』をはじめ数々の名作をお作り出しになる脚本家シナリオライターの倉本聰さんでいらっしゃいます。 脚本家って言ったほうがいいの?シナリオライター?どっちでもいいです。 それで前をねキタキツネかなんかがピュッて通ったりするんだけどそのうちに全部電気も車消しちゃうから…今でも私ね…アフリカでもねアフリカはやっぱり広々した砂漠があって砂漠がちょっとこう白いところがね…。
でもまあ富良野塾というものをお作りになってそれでそこで色々環境のこととか随分なさいましたよね長いこと。 富良野塾をやって…26年やってそれを終えて…終えてっていうか終わらせてそれから自然塾っていうのを作ったんですね。 がっかりするようなことですかね?私話全然違うんだけど何回思い出してもおかしかったのは倉本さんが富良野がどのぐらい寒いかって…。 それで仙台の大学出てから北海道が一番いいと思ったらしくて。 それで北海道を探して滝川が一番いいと自分で思ったんでしょうその祖父がね。
これ江戸時代の方ですね。 慶応時代?えー!じいさんが万延かなんかもう少し前ですね。 だから考えてみるとね本当江戸時代の人と一緒に住んでたんだなと思って。 終戦記念日の寸前に新聞社から電話があって「お父さんが戦時中に教会の週報に“戦争は罪悪だ”って書いちゃって引っ張られたって話ご存じですか?」って言われて全然僕知らなくて。 でも相当勇気のある方ですよね戦争中に。 お書きになった本の中にも出てるんだけど今の若い人たちってみんな戦争の時ね特攻隊で行ったとか色んなこと言ったら戦争に召集されたりして。
お父様は随分出版社を経営していらして…。 でもこんな…写真見てちょっと笑うなんていう子珍しいわね。 お父様は非常に子煩悩な方で…お父様子煩悩な方で?ええ。 当時ね英字ビスケットっていうのがあったんですね。 英語のAって…?アルファベットの。 それでそのお菓子屋のケースの前に立って「これか?」って言うから「はい」って言ったら「うん」って言って考えてお菓子屋さんの店員さんを呼んで「全部ください」って言って全部買っちゃったのね。