熊本城を愛する吉村さんのガイドにも注目です。 熊本城の石垣は一体何がすごいのか?ここからは皆さんもこの城を攻める気持ちでご覧ください。 ガイド歴7年の吉村さんでもこちらが熊本城で最も高いおよそ20メートルもある石垣。 そのリーダーでもある西郷隆盛は1877年政府軍が守る熊本城へ襲いかかりました。 しかしなぜ江戸時代初期に造られた石垣が西郷隆盛の猛攻に耐えられたのでしょうか?そこには当時ではあり得ない清正がとった庶民への行動にそうですよね。
さらに秀吉の大阪城を掘っていくと地下に石山本願寺があるかもしれないという可能性があるんです。 織田信長さんと戦ったんですよ石山本願寺は。 石山本願寺推定地。 「推定地なんや」「この辺りにあったのかなっていう事が…」このように大阪城が立つこの場所は度重なる戦が行われてきた場所でもあります。 さらにこちらは当時のお坊さんが戦の間も持ち歩いていたとされる浄土真宗では阿弥陀如来を信じ南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土への往生がかなうといわれています。
しかも鑁阿寺ってもう寺ですよね?さらに天守閣には強固な守りを実現する様々な仕掛けが。 栃木県足利市に1196年に建立されたといわれる鑁阿寺。 こちらが今週のぶっちゃけラインアップ!青森県のお坊さんならではのぶっちゃけから最近のお坊さん事情まで盛りだくさん!一番はやっぱり今年になって孫ですけれども出家得度をしたという事が一番まず嬉しい事だっていう事でそれをぶっちゃけたいと思いますけどもね。 現在の青森県はそこで青森県常現寺音喜多さんのぶっちゃけ。
まずは静岡県にある久能山東照宮。 家康の墓といえば家康が神としてまつられている日光東照宮を思い浮かべる人も多いと思いますが…。 実は遺言により遺体はまず久能山東照宮に埋葬され日光東照宮に移されたのはその1年後なんだそうです。 家康が最初に埋葬された久能山東照宮。 こちらがですね久能山東照宮という…。 ここからは久能山東照宮の宮司落合さんに特別に案内してもらいます。 手がけたのは江戸城や二条城など徳川家に関係する重要な建築の多くを担当した中井正清。
しかしなぜ代わりに信長と秀吉だったのでしょうか?で宮司は宮司として応仁の乱以降ね戦国時代がずっと続いてそれを治めたのはまず織田信長公で…それで言って…。 現代では見る事の出来ない実はこの久能山東照宮日光東照宮とともに地図で見てみるとえっ!ほら富士山があって。 昔の人偉い!すごい!家康の墓所久能山に来る事によって日光東照宮との意外な関係もわかりました。 元々ですね神田明神があった場所はこちら辺りの場所なんですが江戸の町づくりをする時にこの場所から現在のこの神田明神の場所に移ったんです。