徹子の部屋 祝40周年!小澤征爾&征悦親子

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この番組のまとめ

40年前の今日『徹子の部屋』は始まりました。 小澤征爾さんと坊ちゃんの小澤征悦さんですけど。 この征爾さんとそれからユキちゃんって…息子さん征悦さんですけどこのお二人がご一緒にテレビにお出になるのは『徹子の部屋』でしか見られないという…。 それで家族みんなで…みんなで一緒に行ってワシントンまでボストン経由で。 ケネディ・センター名誉賞という…。

ハリウッドの映画に出たってね。 オーディションに受かって…。 オーディション受けたの?はい。 オーディションで受かって去年撮影して。 『ザ・フォレスト』っていう映画なんですけれども今世界中で…アメリカとヨーロッパと世界中で今公開していて。 でもオーディション受けたの?はい受けました。 ハリウッドの映画に出たのはそれが最初の1本目ですね。 でも突然それで俳優になったりなんかしたんだからハリウッドの俳優になれたのはとても面白いと思ってるでしょ?きっとね。 後見人が知らなかったのにハリウッドにお出になってね…。

私この間写真見てたらね父が東京弦楽四重奏団というのをやってて…弦楽四重奏。 その時のチェロね齋藤秀雄さんだったの。 それでね齋藤先生が指揮した時はね…オーケストラをよ。 それでね齋藤先生が桐朋を作る時にうちの父に「一緒に先生になってほしい」って言われたみたいよ。 でもまあ齋藤秀雄さんとはすごく…。 齋藤秀雄さんっていうのはもう小澤さんの大先生で。 齋藤秀雄先生のおかげだっていうぐらい…。 うんオーケストラコンサートマスターやってた…。

本当に俳優になるってもうお決めになってちょっとしてNHKの…沖田総司を『徳川慶喜』でなさって」「やらせていただいて…」「でもその次にもう『豚の報い』という映画の主演できてね…」「小澤さんは…私知ってんの。 俺も初めてつながったのを見て」「こういうふうに座ってたんですよ」「映画ずっと見てて最後のほうになってこういうふうにやってもぞもぞしてるんですよ」「トイレかなんか行きたいのかなとか思ってて」「最後映画ね終わってタイトルが上がり…最初に…出てくるじゃないですか俺の名前が。

サイトウ・キネン・フェスティバルっていうのが去年名前変わってあれですよね腰が痛いから椅子にもしかしたら座るかもしれないと思って椅子を用意しておおきになったんだけど結局椅子に座らなかったんですよね。 時々音楽が止まる時なんかちょっと座ったり曲と曲の間にちょっと座ったりしてますけども実際に指揮してる時はやっぱり駄目だね。 自覚症状なしで毎年行ってる同じ先生のところででもその時ユキちゃんはお父様がんにおなりになった時はどんなでした?まあそれはやっぱり…。

オレンジジュースの缶…。 私もうちょっといいもの…オレンジジュースの缶みたいなものかと思ったら瓶で?瓶なんですよ。 お二人には直接関係がないんですけど。 『徹子の部屋』でいつもコンサートをやってるんですけどこの頃『徹子の部屋』クラシックっていってクラシックもやるんですけど。 今度音楽物語『窓ぎわのトットちゃん』トットちゃんは立ち止まった」「トットちゃんの目の端に夢としか思えないものが見えたのだった」「ママあれ本当の電車?校庭に並んでるの」「この学校の教室は古い電車だった」すごいな。