今回はかつて信玄と激戦を繰り広げた徳川家康のミステリーをご紹介。 江戸時代から多くの参拝者を迎え入れてきた東照宮。 さらに徳川家康のミステリーを探りに太田さんが…。 家康の遺言に従い死後1年後遺体が移された事を機に創建された日光東照宮。 日光東照宮は?初めて。 今では誰でも楽しむ事が出来る日光東照宮ですが実は江戸時代は違ったそうです。 江戸時代の庶民は裃を着用し堂者引きに案内されそもそも日光東照宮は江戸幕府を開いた家康の墓所ですが…。
宇宙を取り仕切る北極星とともに江戸を見守るという壮大なプランがあったのでしょうか?ここからは江戸時代にタイムスリップした気持ちで参拝してみましょう。 この鳥居もただくぐるだけではもったいないある秘密が!長きにわたる戦乱の世をまとめた徳川家康。 官兵衛といえば徳川家の敵に当たる豊臣家と関係があったはずですがなぜ寄進をしたのでしょうか?さすが黒田家ですね。 右から寅卯龍の順番に並んでいますがそこに隠された思いとは!?この五重塔の生き物の並び方には徳川家将軍たちとの知られざる関係が。
動物園のない江戸時代多くの参拝者が彫刻を見て驚いた事でしょう!…と派手な彫刻に目がいってしまいがちですが家康といえば不遇の時代を過ごした苦労人。 実は墓の向きに驚きの仕掛けが!五重塔を見たあとに参拝者が向かうのは東照宮で最初に建てられた門表門。 実はここに長きにわたって続いた戦乱の世をまとめた家康とその遺志を引き継いだ徳川家だからこそのある狙いがあったのです。 やはり江戸時代の方は見れば驚くものばかりですよね。 江戸時代長く続きましたからね平和な中で…。 江戸時代の人もこの光景に目を奪われた事でしょう。
出ました!東照宮と言えば見ざる聞かざる言わざるでおなじみの三猿。 この三猿が彫られているのが神馬を繋いでおく神厩舎。 果たして人の一生を表したという三猿で有名な猿の彫刻。 この人でホントに私はいいのかしらとか色々迷いますよね。 ああっホントだ!2人はどんな荒波をも乗り越えて支えていけるんだという夫婦の強い絆です…。 六面七面では恋愛から結婚まで大人になった猿が描かれていますがいよいよ最後の八面。 メタボリックじゃありませんから。
夜この場所から陽明門を見るとその上に北極星がちょうど見えます。 そしてこの正面鳥居をくぐりまして今修理中の門がありますが通路を抜けまして…。 家康公がまつられてますご本殿がありまた山には家康公がまつられてるお墓があります。 アハハハッ!場所は陽明門の正面にある3つ目の三角の手前2つ目のひし形。 当時最高峰の技師たちによって造られしかもそこには徳川家の並々ならぬ思いが隠されていました。 その恙っていう動物がいない状態を大丈夫って…。
実はこの日光東照宮には徳川家康が本能寺の変から亡くなるまでの激動の34年の裏側を物語る証拠が色々あります。 ここからは家康激動の後半生34年とともに日光東照宮を見ていきましょう。 ここに隠された家康のメッセージとは?これを見れば訪れたくなる事間違いなしです!まずは1582年本能寺の変。 家康は朝廷から征夷大将軍に任命された事で江戸に幕府を開く事が出来たのですがなんとその書状がここに展示されているんです。 征夷大将軍に…。 征夷大将軍になりたくて。
こちらの場所!この先に家康のお墓へと続く神秘的な階段があるのですがなんといっても有名なのはこちらの彫刻眠り猫。 あの有名な眠り猫がいるところですがあ~!実はこの眠り猫をよーく見てみるとここに家康が死の間際願ったであろうある思いが隠されているんです。 当時は将軍家など限られた人しか通る事が許されず開かずの門とも呼ばれた坂下門。 「東照宮」は家康公「御遺訓」はご遺言ですから。 日光東照宮の聖地。 やっぱり神仏混淆だったんだなと…家康公はそう思ってここにまつられたんじゃないのかなと思いますね。