昭和の爆笑王林家三平さんのご長男です。 それでおじい様の正蔵さんを継いで11年目。 九代目林家正蔵さん今日のお客様です。 林家正蔵さん今日のお客様です。 お母様の…奥様のですね海老名香葉子さんが本当に頑張って一門を率いていらっしゃってね。 そこのところまでいくと…正蔵からいくと正蔵三平今度の正蔵それでそのあなたの息子さんと4代続いて…。 お父様っていう方は危篤の時に…もう危篤だっていう時に…もう…大変な時に「お名前は?」って先生が聞いたんでしょ?もう意識が薄れてて…。
危篤の時に「お名前は?」って言われて「加山雄三」って…「明るく元気に一生懸命やりなさい」って言われたんです。 あんな恥ずかしい商売はない”」「“うちのお父さんが総理大臣とか偉い人だったらよかったのに”とかずっと子供ながらに言ってたんですね」「そうしたら“じゃあうちのお父さんの今日は本当の姿を見せてあげるからとにかく早く寝なさい”って言われて」「12時か1時ぐらいだった」「“泰孝君起きてごらんなさい”って言われて起こされましてね」「“ちょっとこっちへ来なさい”って言うんで…うちの父の部屋があるんですよ。
あなたがねえっと…42歳ですかね?「とにかく笑いが取れるじゃないですか」「私もね最初これはウケたなと思ったのは父親と一緒に行った万博ですね」「あそこでもって…太陽の広場でもって落語を…」「大阪万博?その時何を…どんなの…?」「小噺です」「はい。 ガチョリンスタンド」「ハハハ…。 また香葉子さんが息子さんに天丼屋さんでまた同じようなことを…?でねせがれがある日新宿の末広亭を出たところで立ってるんですよ。
でもあなたは去年文化庁芸術祭賞で噺の稽古をつけていただいてなんか…なんかお客さん18人ぐらいしかいないところであなたやってらしたらお母様が舞台に上がって「皆さんすいません」って。 あの山田洋次監督がお書きになられたえー…『頓馬の使者』っていう小さん師匠がおやりになった落語がどうしてもやりたくて監督のところに「この落語をやりたいんです」と。
これでもうご縁が切れたかなと思ったら今度は『東京家族』っていう映画でこれこれこういう役があるんだ。 今現在上映中の『家族はつらいよ』。 ど…どうでした?私はねなんか最後が…チャップリンの映画を見ているようなそんな感じでしたね。 『東京家族』と同じ出演者…?そうです。