全国の博物館から出題! 林修の歴史お宝ミステリー

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この番組のまとめ

それが博物館です。 私たちが知る歴史上の人物たちも魅了されてきた日本の宝。 政宗謙信兼続戦国武将の兜でわかる生き様。 『全国の博物館から出題!林修の歴史お宝ミステリー』お願いします。 今日はですねここ東京上野にあります東京国立博物館からテレビ史上なんと初の1500万…。 ここ東京国立博物館には『風神雷神図屏風』そして『富嶽三十六景』素敵なお宝がたくさんあるんです。 更に全国の博物館からも価値のあるお宝をどんどんご覧いただく事になっています。 武将の生死を華やかに彩ったお宝甲冑。 歴史学者の小和田泰経先生。

さあ正解の方は?大正解です。 この兜はある生き物をモチーフにデザインされているのですがその生き物とは一体なんでしょう?小峠さん10秒以内にお答えください。 続いて信長が才能を認め秀吉が恐れたという伝説の猛将蒲生氏郷の兜。 岩手県の地質や歴史生物の事まで展示されている総合博物館。 続いては勇猛な戦ぶりから鬼の義重と恐れられた佐竹義重の兜。 佐竹義重が兜にあしらった毛虫。 源頼朝や義経が奉納したとされる鎧など国宝8点重要文化財に指定されているお宝は76点。 重要文化財にも指定されている。

歴史学者からしたらね歴史上の人物の体格を推定するうえでやっぱり鎧だとかっていうのは非常に有効な僕ら情報源…。 江戸時代に8代将軍の徳川吉宗が『享保名物帳』という名刀を記録させたのがいわくというのがこれがまあ3つ大事なんです。 こちらの博物館には正午の合図に使われていた大砲午砲ドンや究極に美しいとされる槍日本号など価値あるお宝がいっぱい。 黄金の輝きを放つ金印もここ福岡市博物館に所蔵されている。 しかし昨年11年ぶりに静岡県の佐野美術館で一般公開された。

秀吉が利家に名刀大典太光世を譲ったのは武器以外の別の使い道があったから。 前田利家の四女豪姫が不思議に思っていた利家の目に留まったのが名刀大典太光世。 まずは坂本龍馬のミステリーの謎を解いた貴重な古文書。 その古文書があるのは高知県にある創造広場アクトランド龍馬歴史館。 そんな坂本龍馬は剣術の皆伝書が現存せず拳銃を使用していたため実は剣術の腕前は大した事なかったのではないかという説が。 続いては日本の歴史上最大のミステリーといわれるこの文書が発見された事で新たな説が生まれたのです。

戦国時代の革命児といわれた信長や江戸幕府の開祖家康に比べると秀吉は若干しかし近年専門家たちの間では…。 33通の手紙から解明された本当は秀吉がすごい!ミステリー!今年1月に発見されたお宝。 秀吉の手紙が保管されている龍野歴史文化資料館にやってきたのは林先生と本郷先生。 秀吉の手紙とはどんな内容なのか?江戸時代龍野を治めていた脇坂という大名がおりますけれども。 その手紙とは秀吉が部下である脇坂安治に送ったもの。

中でもオススメは清時代の陶器妖艶な美しさに引き込まれやがて権力の象徴となっていった陶磁器の魅力に迫ります。 という事で全国の博物館のお宝の中から美しい庭園が広がるこちらの美術館では三蔵法師の一生を描いた絵巻大般若経などの国宝やさまざまなお宝を展示。 こちらが国宝の曜変天目茶碗です。 この中に入っているという国宝曜変天目茶碗。 究極のお宝曜変天目茶碗。 信長の弟織田有楽斎が建てた国宝茶室如庵が精巧に再現された展示ケースがあるほか豪華絢爛な秀吉に対して「侘び」の精神を重んじ対抗した利休。

利休の跡を継いで秀吉と家康に仕えた弟子の古田織部。 で利休のそういう思いを受け継いだ古田織部は今度家康と対立するんです。 大坂城の焼け跡から付藻茄子を探し出し修復したのが家康だといわれている。 そんな付藻茄子より信長が欲しかった伝説の茶器がある。 茶人としても有名で信長から幾度となく「平蜘蛛譲れ!」と所望されたがかたくなに断り続けた。 ではここでどうしてもこの茶釜を信長にあげたくなかった久秀の取った驚きの行動とはなんでしょう?僕の記憶が確かならばお宝を守るバックヤードに入らせてもらった。