運命の分かれ道思い出の風景元気をくれる懐かしの味よみがえる青春のメロディー友や恩師、そして家族そんな自分のルーツをたどる旅こそ、極上の旅今日、極上の旅人となるのは落語家・林家たい平さん51歳東京・浅草にある寄席舞台の上に登場すれば…たい平さんお目当てのお客さんで連日、寄席は大盛況です小中高と秩父で育ち18歳で武蔵野美術大学に入学落語研究部で運命の落語に出会い弟子入りを決意24歳でようやく正式に弟子入りしたあとも住み込み生活は6年続いたそうですその後、平成4年に二つ目平成12年に真打ちに昇進と着実にステップ
そりゃ、おなかもすきますよね浅草に思い出の店があるということで浅草演芸ホールからお店へと向かいますたい平:都内にね浅草、それから上野、新宿、池袋って4軒、寄席がありますけど全部、お客さんがそれぞれの街で違うんですよ。 そのときも浅草寺病院に入院してて何もできないからそのときもらってきた大入り袋をお母さんの名前を書いて…。 やって来たのはおにぎりの看板が目を引く「宿六」さん修業時代によく通ったお店だそうです住み込みなので帰らなくちゃいけない。
修業時代、1日で自由にできる自分の時間は中華屋さんがあったり。 ここは根岸小学校っていって大師匠・三平が下町の学習院ってよく言ってました。 下町の学習院、根岸小学校って。 思い出の銭湯がなくなって寂しそうな、たい平さんですが来年6月に完成予定のマンションに新たな形で銭湯が入るそうですよ続いて、たい平さんは近所にある思い出の公園へ大学卒業して色んな楽しみも知っているんで先輩たちと浅草演芸ホールで仕事が終わって…。
詰め合わせを作ってもらってる間僕はずっとそこのところの椅子に座って待ってる間に今の社長のお母さんが社長だったんでそのお母さんがあめ食べていきなさいとかたい平さんが修業時代から応援してくれていたのが先代の社長さん一番苦労していた時期を支えてもらったといいますたい平:すごくねまだまだ駆け出しでようやく修業が終わって二つ目っていうところになって自分で会をやらなければいけないとか色々あるんだけどまだまだ全然、力不足で…。
師匠に喜んでほしい一心でたい平さんは師匠が大ファンだったある大物歌手をパーティーに呼ぼうと考えたのですしかし、これが大問題に…送っていたんですけども何の返事も来なくてどうしたかなと思ってたときにしっかりとしたものがあって下の者が上の人に何かお願いをするときにはこういうことじゃないよっていうことを手紙をまた添えてうちの師匠のところに…。
たい平さんが生まれ育ったのは東京から電車でおよそ2時間の埼玉県秩父市関東では、気軽に行ける観光地としてもおなじみで今の季節はおよそ40万株の芝桜が見頃を迎えています更に、これからは長瀞のラインくだりもオススメそんな秩父で生まれ育ったたい平さんはたい平:コミュニケーションが取りづらくなっているというのは今日も電車の中で感じました。
たい平さんのご実家の最寄り駅秩父鉄道の御花畑駅に到着ですたい平:着きました。 僕も日本中色んなところを旅していますけれどもこの味はちょっとほかにはないなっていう秩父は日本三大曳山祭の秩父夜祭っていうのが12月の2日、3日に行われるんですね。 これが一番、秩父夜祭のメインの団子坂です。 毎年12月に行われる秩父夜祭は300年以上の歴史を誇る曳山祭そして、たい平さんが何はさておき向かったお店が…めっちゃくちゃうまいし見たこともないような。
秩父の中高生たちが通う「ははそたい焼き」はこの小倉たい焼きが自慢店主がたい平さんの後輩ということでお店の看板をデザインしてあげたんだそうですたい平:いくら美人とは言えだんだん、年を取ってくるとただ、ここでジッと彼女の顔を見ながら食べるわけにもいかないのでじゃあ、少しゆっくりできるところというので実は、こっちのスペースをたい平美術館というふうにしました。
本当に、なんかその時々の思いっていうのがこの時期絶対に行ってほしいというオススメの場所それは、芝桜の名所羊山公園たい平:さあ、というわけでちょっと、カメラさんいいですか?秩父へ、この時期来たらこちらです、絶景!どうです、芝桜の丘を知り尽くした男がオススメするピンポイントです!今では秩父を代表する観光スポットにたい平:芝桜ってね多年草なので一度植えたら毎年何もしなくてもきれいに花が咲くかと思ったら大間違いなんですよ。
「味で勝負高砂ホルモン」っていって秩父の人はね、お店の名前の前に何かひと言を入れたいんだね。 僕のこと知っててくれて実はうちのさっきの駄菓子屋になってたあのお店から歩いて35歩くらいのところにこの「高砂ホルモン」が元々はあってそこにずっとこのトラおばあちゃんはたい平:今、もうばあちゃん何歳になった?たい平:90歳ですよ。