運命の分かれ道思い出の風景元気をくれる懐かしの味よみがえる青春のメロディー役者・梅沢富美男さん65歳昭和57年に発売されおよそ48万枚を売り上げた「夢芝居」「夢芝居」のヒットで「NHK紅白歌合戦」にも出場気軽に楽しむことができる大衆演劇は庶民にとって、一級のエンターテインメントでしたおじいちゃんおばあちゃん世代には懐かしいですよねえ梅沢富美男:勘弁しておくれ!芸歴54年の大ベテラン!梅沢さんのおはこが早着替え着物姿の女役が舞台から消えると…そんな大衆演劇が生んだスター梅沢さんの代名詞が妖えんなまでに美しい
梅沢さんが、女形誕生の地篠原演芸場に向かいます梅沢:ずっとトラックで荷物運んで。 スタッフ:ここにトラックが入ってくるんですか?梅沢:そうそう4トントラックね。 商店街の一角にある篠原演芸場開館は、昭和26年梅沢:今、入場料いくらなの?1600円!そうだよな。
昭和25年福島県福島市出身その座長・梅沢清と母・龍千代の五男坊として生まれた梅沢さん転機が訪れたのは6歳のとき初めて降りたのが上野駅なんですスタッフ:最初に東京に来た印象ってどうでした?梅沢:いや、すごかったな。 そんな2人が、50年前にここで食べたのがこのハンバーグステーキ当時は、高級料理だったハンバーグステーキ50年前二代目に就任した武生さんは劇団を引き連れ一旗揚げようと上京梅沢:しかし、これか。
石ノ森先生のメモリアルルームへそうでしたよね昔、この玄関でしたもんね。 そんなある日お世話になっていた石ノ森先生に梅沢さんは役者を辞める決意を告げました梅沢:24~25歳の頃だったなあ。 梅沢さんの人生が大きく変わることに梅沢:先生が好きだったね「矢切の渡し」っていうそれで、女形をやった。 元々は、女形をやりたくないと思っていたらその梅沢さんが石ノ森先生とお母様によってその女形になった。 先生に「矢切の渡し」を踊れって言われなかったら私は女形は一生やっていなかった。
実は、社長の島田俊六さんは梅沢さんの女形に魅せられた1人つまりごひいきさんなんですその落差っていうかねびっくりした。 芝居小屋は少なくなりましたが今でも芝居で使われるかつらや小道具などの専門店はたくさんあるのです母が着物の生地を買っていた呉服屋さんに到着梅沢:ここですよ。 こちらの「やまとみ」は着物や浴衣などの和装を仕立てるお店梅沢さんはこの店を母と訪れ舞台衣装のイロハを学びましたその極意を少し教えてもらうことに梅沢:そうだね、じゃあ…。
母に支えられスターになった梅沢さん更に、輝きを増すきっかけになったのが…昭和57年に発売された曲「夢芝居」実は、「夢芝居」を作詞・作曲した、あの方も梅沢さんの母をよく覚えていました小椋佳:梅沢富美男さんが出るお芝居を見に行きました。 余命宣告を受けた母には1つの夢がありましたこの日梅沢さんが向かったのは…梅沢:役者の母ちゃんと父ちゃんを持ってた俺がね本当の親孝行したっていうのはやっぱり、おふくろを明治座に上げたことかな。
梅沢:今日は撮影で。 梅沢:お母ちゃんは今日、どこか行った?店員:ちょっと仕入れに行ってる。 梅沢:仕入れに行ってる?店員:明日から連休でしょ?梅沢:ああ、そうだ。 梅沢:お花も置いてるんだ?店員:そうだよ。 梅沢:そうなの?女性:近所なの。 女性:あ、本当?梅沢:豪邸だったんだよね。 梅沢:これからどこ行くんですか?女性:私、これからお風呂。
津軽富士と親しまれる岩木山と一面に広がるリンゴ畑その忘れられない味を求めて老舗菓子店へ梅沢:実はですね今から60年…61年、62年そんなところだと思うんですけどうちの母親に初めて母親が生まれたこの藤崎に連れてきてもらって色んなお菓子があってだから、おせんべいも売ってたし色んな駄菓子屋さんという感じだったんですよ。