徹子の部屋 キャスター国谷裕子

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この番組のまとめ

菊池寛賞の時だったかしら?「写真写させてください」とか仰って一緒に写したりしたのね写真。 今現代…現在ですねご卒業になって23年間ああやって毎晩毎晩生放送でおやりになってしかも時事問題が多かったあのことを振り返るとそうですね。 23年間って…パッというとやっぱり長い年月ですけども私自身にとってみればあっという間に過ぎたなと。 初めての番組が『徹子の部屋』…NHK以外では『徹子の部屋』が初めてだそうでございますのでうれしいなと思っています。

まだ妹が生まれる前でしたけれども行ってすぐにたぶんエンパイアステートの上に上りまして家族4人で撮った写真です。 偶然ニューヨークに主人が…パートナーが仕事をするようになりましてそこでNHKの番組制作のお手伝いのようなお仕事をしておりましたらある日「テレビに出てほしい」という声が突然掛かりまして。 でも初めキャスターでお始めになった?衛星放送の売りは24時間眠らないテレビ。 「私にはとてもそんな仕事はできません」っていうふうに申し上げたらNHKの人は「大丈夫大丈夫。

でもそういう色んなことを調べたり…英語は各国行ってらっしゃるからよくおできになったとしてもそういうニュースだとかそういう勉強とか『クローズアップ現代』を始めてあるいは放送を始めていいえ。

すごくおどおどしたりうまく番組…ニュースを伝えられなくて毎日本当に…期待して私を総合テレビに番組のキャスターというポジションを降りて今度はリポーターになりまして。 それが1989年でちょうど天安門事件が起きてそのあと東ヨーロッパの国々が次々と民主化しベルリンの壁が崩壊してそこからソビエト連邦も崩壊するという世界中の歴史が変わるようなそういう時代になりまして。