徹子の部屋 舞踊家・牧阿佐美

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この番組のまとめ

バレエひと筋に歩んできた舞踊家本当に現在でも新国立バレエ研修所の所長さんでいらっしゃるのでたくさんのバレリーナをお育てになりました。 草刈民代さんもこちらのバレエ団にいらした方ですけども50歳の時に結婚なすったんですってね。 ご自分で散々…散々っていうか三十何歳まで踊ってらしたからどこがどうなればいいって…衣装はどうあるべきだっていうのはもう十分おわかりなので…。

でもやっぱりそのぐらいしなかったら当時はあれですねやっぱりバレエダンサーを続けていくことはお母様できないとお思いになったんでしょうね。 でもよくそういう中からよく牧阿佐美さんは…私たち橘秋子の娘が牧阿佐美って知ってましたけど母外側だけど言ってました。 母が疎開してきてでもその中から…それで終戦になって日本が負けてすごいどさくさがあってそんな中からバレエをやっていくっていうあなたのお母様の力もすごかったですよね。

それで日本人の霧島エリ子って名前使って軍隊に慰問まで行ってらした…。 慰問まで?霧島さんという名前で?名前にして。 日本人の?はい。 慰問をやって慰問先で何ですか?くしにばい菌があったんですか?髪の毛が抜けてそれでもうその時に亡くなって…帰ってらして亡くなってたって…。 この時がアメリカ留学の時なんですけど。 向こうで…アメリカで撮った写真です。 アメリカはやっぱり…ニューヨークはクラシックバレエもやっぱり盛ん?そうですね。

私ね父がねN響のコンサートマスターやってたためにね『白鳥の湖』のソロがある時随分色んなバレエ団にねそこだけ聴きに行ってたんでね一緒についていったんで随分バレエいっぱい見たんですね。 バレエでは母が振り付ける時に私もステップの種類を「こんなのはどうですか?」って言って…。 でも色んなステップは私のほうが知ってたので「こういう感じのステップ」とか「こういうイメージ」とか言うものですからそれでステップ組むと「それは使う」「これは使わない」とか言って一緒にしょっちゅう作品では…。