徹子の部屋 徳光和夫

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この番組のまとめ

それであなたできることなら野球が…中継やりたかった?もう僕アナウンサーになるのもですね野球中継のアナウンサーになりたくてアナウンサー試験を受けた…。 大学時代もアナウンサーっていう気持ちはなかったんですが土居まさるっていますねあれが同級生で。 あいつが「お前長嶋さんがそんな好きだったらアナウンサーの試験受けてみればいいんじゃないか」。 さあ野球中継だぞとお思いになったらもうアナウンサー…我々の先輩でもですねまだベンチリポーターとかそういったようなことをやってらっしゃる方がいらっしゃって。

『うわさのチャンネル!!』って大きい番組たくさんなさってたんですがそれでたばこをスパスパ100本もお吸いになって魚卵やなんかそういうふうなねいっぱい食べちゃどんなもんだろうっていうものを召し上がっていたらある日突然…。 これ船村徹先生の作曲家生活50周年の打ち合わせだったんですよ。 これはもう…お医者さんに行きましてその様子を話しましたら…「心電図を撮りましょう」って心電図を撮ってるその最中に救急車を呼べっていうんで救急車を呼ばれましてですね。

元々血管って普通は4ミリだそうなんでありますけれどもそれが僕の場合若干太くて5ミリに近い4ミリ。 とにかくたばこが好きなんで節煙させてください」って言いましたらその先生が「じゃあ検診はもうこの病院以外のところでやってください」って言われて。 そしたら報知新聞の仲のいい記者から電話かかってきて。 彼は宮崎のキャンプで長嶋さんの取材をしてるはずなんですけども。 当然その長嶋さんのノックがですね翌日の報知新聞の1面でトップになると思っていました。

映画監督でいらしたの?えーとねその前がですね東宝におりましてずっと映画をやっておりまして。 映画監督をやってた鈴木英夫さんっていう監督さんご存じですかね?いらっしゃる…うん。 うちのおやじは映画部長だったんですけども映画部って言いましてもほとんどニュース映画を…。 ♪~「Rollin’rollin’rollin’」…なんて?懐かしいね。

ところでジャイアント馬場さんから教わったことってさっきちょっと仰ったんだけど『徹子の部屋』にジャイアント馬場さんがお出になったの。 馬場さんのですか?珍しいジャイアント馬場さんの『徹子の部屋』にいらした最後のご出演ご覧いただきます。

僕がですから一番教えられましたのはまさかレスリングをやってる馬場さんにそういうことを言われると思わなかったんですけども「あなたも喋る仕事をしてる」と。 その馬場さんが実は自慢話が「長嶋が入ってきた時に一番最初にキャッチボールしたのは俺だ」って。 僕実況中継してましたんで。 その取材したものを自分で咀嚼して自分の言葉でアナウンスするっていうのが実況の原則なんですけども。