若い時ったってこれいくつぐらいの時ですかね?これは劇団に…自由劇場っていう…串田和美さんそして吉田日出子さんがいた…笹野高史さんもいましたけど。 それまで上京してデザインの学校へ行ったり写真の学校へ行ったりしてたけどなんか自分はやりたいものはそうじゃないんじゃないかってずっと考えてる中で恥ずかしいんだけど正直に何がやりたいの?って…もし神様が「何でもいいから希望を叶えてあげる」「何がいい?」って言ったら俳優がいいなって思ったんです。 これはね写真学校に入ってる時ですから…。
スキンシップをやっぱり子供がちっちゃい時に幼稚園に行く時に交通事故で何があってね今生の別れになるかわからないからそれが嫌で。 最近はね子供の時よりもしっかりとこう背中を触ってああ頑張ってるなとかなんか悩み事ないかなとか色んなことを考えながらちょっと時間かけてハグするようにしてますね。 でもあの…お父様は非常に「フンちゃん」って言って可愛がってくださったんですって?可愛い…甘い…。 僕は父にほとんど怒られた記憶がないし3人兄弟?男兄弟?いいえ。
でもそれにしても三谷幸喜さんはあなたのことをとても贔屓にしてらっしゃると思うんですけど『国民の映画』という…。 ナチスの映画宣伝の…ゲッベルスっていう役を当て書きしてくださった…。 「ヒムラー長官がまだ屋敷の中にいる」「フリッツのことを十分気を付けろ」「嫌だ!」「フフフ…」「フフフ…」「君のそういったところは決して嫌いではない」「あっフフフッ」「あん!フフフッ」かあ…。 あれは読売演劇大賞のしかも最優秀男優賞をお取りになったんですよね。 それで三谷さん本当に喜んでくださって。
もうねもう本当に劇団時代でも…まあ劇団って舞台やってると…。 仕事がなくて子供たち…仕事がないおかげで子供といる時間随分ちっちゃい時にあったからそれはそれで僕の中ではねこれもいいじゃないかなんて自分で言い聞かせてたんですけどでもやっぱり煮詰まってたんでしょうね。 劇団ではなくて劇団をやめたあとの事務所ですね。 劇団自体はそれでも何とか日々食べる分はあったけど解散した時点で貯金は全くないんですよ。
さてびっくりすることには前にもちょっと伺ったんですけど中村雅俊さんの付き人をやっていらっしゃいましたね。 ちょうどその頃中村雅俊さんと松田優作さんがもう2トップで。 そして簡単に落っこちてまた来年…じゃあ翌年また受ければいいやと思ってアルバイトをしてる時たまたまアルバイト先の社員の方で「中村雅俊さんのコンサートのスタッフを探してる奴が知り合いでいるんだけどやらないか?」って言われて。