徹子の部屋 牧村三枝子

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この番組のまとめ

今日のお客様真ん中にいらっしゃる方がそうなんですがご両親と一緒に本当に幸せそうにしていらっしゃいます。 でも本当に牧村さんの人生は波瀾万丈。 嬉しい?もうすごく…本当お久しぶりですごいお会いしたくて昨日も眠れませんでした。 奇麗なお着物本当にね。 本当奇麗。 素敵だと思います本当にね。 日本の着物っていうものは本当に季節にそういうふうに合ったように色んなね絽とか紗とか色々なものがあるっていうのは本当にいいですよね。

じゃあ5年生きるなら元の自分に戻りたいと思って。 それは痩せこけて35キロか36キロぐらいしか吸っても全然吸いきれなくてこれ壊れてるわって。 何本買ってきても…駄目これも壊れてるって思って。 肝硬変で?それは。 肝硬変からきたんですね。 これでこの5年間生きていくのまたつらいし…精神的にもありますし。 本当に誰にも言えなくて自分の気持ちの中だけで。 この時はこんなふうにちょっと笑ってらっしゃる時今日の顔とやっぱり全然違うもんね何となくね。 私は全然わからないから能天気な顔をしてますけどね本当に。

その間に歌の仕事なんかはどうしたんですか?でも炭鉱の美唄にいらした頃はどんなに貧しくてもご両親と一緒にいられたし…。 ♪~「浮草に」♪~「おなじさだめと指をさす」どうしてこれがすごいかっていうと元々これ渡哲也さんの歌だったんでしょ?そうなんですよ。 それであの…渡さんとは『大都会』という番組で…『西部警察』の前にやってたんですけど石原プロの制作第1弾として。 そしたら渡さんがそれを誰かからお聞きになって「裕次郎さんとの特番も『みちづれ』は歌いません」「牧村三枝子さんの歌です」。

大賞と付くもの初めてだったものですからね」「えーと…昨年だったんですけど」「それでも去年?」「そうです」「園まりさんとか奥村チヨさんとか藤圭子さんとか」「藤圭子さんはどんなの?」「あっそれで…ちょっと立っていいですか?」「いいですよ。 でもそういうふうなもう一心不乱に家を建てよう建てようってそれがあってそれがパッとお家が建ったらばそのあと本当に空洞みたいになったんだって?今度。 6年生の時に…昔月刊の『平凡』とか『明星』とかあって「スターマイホーム拝見」っていうのを見たんですね。

お父様はそんなにねあなたのことを喜んでくださったことが本当にねよかったと思います。 本当は元気だったんですけどあと2週間で92っていう時だったんですけど。 本当に元気で。 タクシーから降りて玄関のところで亡くなって…?そこまでずっと元気で来て…。 もう電話がきた時は本当にびっくりしましたね。 本当前の前の日までとか毎日のように話してたので…。 あっまだ15歳でしたからね本当に…。 変なスキャンダルは駄目だと思って誰かに声を掛けられても全然振り向きもしませんでしたね。 みんな大体同じぐらいのデビュー?ええ。