徹子の部屋 海援隊

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この番組のまとめ

皆様今日は海援隊の皆様です。 海援隊海援隊という話はよく出るんですけどなかなか3人でご一緒に出ていただくことは難しい…。 でもあれですよね海援隊って初めて私聞いた時おお昔からあるあの海援隊かなと思ったらやっぱりそう?そうですそうです。 それでバンドを組んだ時に名付けた龍馬の海援隊という意味合いの海援隊ですね。

あれがデビュー作?だからねおかしいでしょ?テレビ女優第1号で私はNHKから出たのにデビューで有名になったのはラジオなんですよね。 その時に…よく覚えてるのはね山田洋次監督がこの番組にお出になったのかな?それでその時に出たほうがいいですよって勧めたのが渥美さんなんですよ。 そうなの?テレビに?山田さんはあの手の方なんでちょっとシャイな方なんで「どうにも私は…」なんて仰ってたんですけど渥美さんは懸命に「あのお嬢さんはすごいですよ」っていう話を。

スタジオに入ってきて靴脱ぐ人がいたっていう時代の私本当にこの間のね『トットてれび』見ててラッキーだったなと思いましたね。 まああの…中でもちょっとありましたけど渥美さん…本当の渥美さんはですね病気悪くなってるの私全然知らないで色んなことがあってやっと電話して連絡し合って会ったの。 でもね外国には行ってないなと思ったからね「何してたの?」「女連れて温泉行ったろ」って私が言ったんですよ。

サイドギター…はい。 後ろから聴こえてくる音が違うんですってね?だからやっぱりね…やっぱり四十何年やってきたっていうのがこの人のギターにやっぱり…耳が慣れちゃってるんですね。 彼のサイドギター…。 加山雄三なんか歌ってたんでしょ?そうです。 本当に加山雄三さんの『旅人よ』なんて彼が演奏してくれて歌いますとね私誕生日が一緒なもんですからね。 いつか加山雄三に会いたいなと思って…。 加山雄三と…。 とにかく…それで加山雄三みたくなりてえなとかって思ってましたけど会えましたから加山雄三さんに後に。 何?貧乏話。

それから武田鉄矢の貧乏話は時々お給料がある日は富ヶ谷の小料理屋でそしたらそこの小料理屋のご主人は長い髪の私がお客として入ってくるたんびにいつも静かに下に刺し身包丁を用意して「はい。 でも私本当に芸能界ってすごいと思うのはその『黄色いハンカチ』からはずっと今のまんまなんだけどその前にお母さんに贈る言葉がねあんなに…何だってお母さんに贈る言葉があんなにヒットしたのにそのあともう本当に何にも仕事がなくなっちゃうっていうのがね。 それでねこれね本当恐ろしいのはねお客さんが減っていくのがライブだから見えるんですよ。