ぶっちゃけ寺 傑作選

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この番組のまとめ

実はこの上野江戸時代の歴史がまるごとわかる街。 ただやっぱり皆さんに知れるようになったのは江戸時代寛永寺というお寺が…。 こちらが天台宗の寺東叡山寛永寺。 江戸時代の最盛期には上野公園全てが境内地だったほど江戸で最大の寺でした。 徳川歴代将軍たちも江戸幕府の繁栄を願い仏像を拝んでいた事でしょう。 ちなみに幕末に上野で起きた戦争により江戸時代に建てられた旧根本中堂は上野公園の噴水辺り。 黄金の社殿がとにかくすごい!果たして上野東照宮とは?太田さんと星野さんそして歴史研究家の本郷先生が巡ります。

こっちは右甚五郎?そういう事ではない?天才彫刻師左甚五郎によって彫られたというニ匹の龍。 ここで歴史研究家本郷先生から藤堂高虎っていうのは関ヶ原の戦いや大坂の陣でも活躍したそしてお坊さんは家康の遺言に天下人ゆえの孤独を感じると言います。 でも一体清水観音堂があるのはこちら。 こちらが寛永寺のお堂で最も古い京都清水寺を模して造られた清水観音堂です。

でも一体なぜ寛永寺で謹慎する事になったのでしょうか?江戸幕府が朝廷に政権を返還する大政奉還を決断した慶喜。 慶喜は朝廷に敵意はないというアピールのために自ら寛永寺で謹慎したといわれています。 お坊さんが聴いたら果たして江戸時代最後の将軍こちらが徳川慶喜公が謹慎された葵の間というお部屋です。 謹慎ってなんかいけない事をして…?こちらが新政府軍に命を狙われた慶喜が2カ月間身を隠したという葵の間。 江戸無血開城が行われたその日慶喜は謹慎を解き水戸へ戻りました。

実はアメ横は単なる商店街ではなくここを通ると江戸時代の庶民の暮らしの秘密がわかるというスポットだそうです。 そういう意味なの?で御徒町なの?アメ横を抜けた御徒町駅周辺は江戸時代下級武士の長屋が連なる場所でした。 今でもカットフルーツはアメ横の人気商品なんだそうです。 縁あっておよそ300年前に京都から伝わったといわれる秘仏摩利支天像ご開帳!その姿とは…。 災いを退けるご利益があるといわれる摩利支天は徳川家康をはじめ数多くの武将たちに愛されました。

そして仏像造りにかける職人の技が学べるそうです。 もちろん今回は特別に仏像造りをしているという研究室にお邪魔させてもらいました。 こちらが仏像造りと修復を行っている研究室。 こちらではそして仏像造りを教える籔内教授。 江戸時代ただそれまでの仏像だと高値で庶民には手が届かないので民間の仏師が簡易的に造り安く売り出したのだそうです。 そのため今でも残る江戸時代の仏像は修復が必要になってくるのだといいます。 実はこちらも修復を依頼された江戸時代の仏像。

お坊さんがすごいというポイントが歴代将軍の特殊な埋葬方法。 そんな歴代将軍の墓があるのは上野公園の一番北。 先ほどの寛永寺根本中堂の裏へ回り境内の一番奥に行くと御霊廟の入り口が見えてきます。 歴代将軍15人のうち寛永寺には6人の墓があります。 これから一行がお参りをするのは5代将軍綱吉8代将軍吉宗13代将軍家定の墓。 そして歴代将軍に共通するのは宝塔という形のお墓。 続いては『暴れん坊将軍』でおなじみ第8代将軍徳川吉宗。 いよいよラストは13代将軍家定のお墓。