ザ・スクープスペシャル 緑十字機 決死の飛行 ~誰も知らない“空白の7日間”〜

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この番組のまとめ

「それ以外に残された道は完全なる壊滅あるのみ」日本が受け入れたポツダム宣言は「来攻する敵に対しては断固反撃すべし」こちらは現在海上自衛隊と米軍が共同使用している厚木基地です。 戦時中は日本海軍最強と言われた厚木航空隊の基地厚木飛行場がありました。 厚木航空隊を指揮する小園指令は玉音放送終了の5分後ある声明を全国の部隊に発信した。 「フィリピンマニラ市に降伏条件を遂行するため代表者を派遣する事を命ず」マッカーサーは一刻も早い日本への進駐を目指して全権を委任された降伏軍使を派遣するよう求めたのだ。

そんな中東久邇宮総理は官邸に降伏軍使の河辺を招き天皇の全権委任状を託した。 「陛下の御委任状を手交せられ恐縮して今更任の重きを感ず」こうしてようやく準備が整った大本営は焦燥感を募らせるマッカーサーにフライトスケジュールを連絡した。 「停戦全権委員一行搭乗の2機天候の許す限り19日7時木更津飛行場発」木更津飛行場は今は陸上自衛隊木更津駐屯地となっているこちらの場所にありました。 この時緑十字機のコールサインは「バターン」米軍機は「モッカ」と決められた。

その時緑十字機のクルーが帰りを待つ伊江島では米兵たちが空に向かってピストルを撃ちその時マッカーサーからのこんな通達を見せてくれたという。 「日本政府代表は8月20日18時30分頃伊江島を出発」「23時30分頃木更津到着の予定なり」しかしその数時間後信じられないアクシデントが平和の白い鳩を襲う事になるのです。

浜松飛行場の飛行機は空襲を避けるため全て富山県に避難していたが「ただちに浜松中央電話局に自動車で飛び宿直員を起こして東京へ電話をつなぐ事を依頼した」東京に到着したのは午前8時。 8月24日18時までに移動せしむべし」「魚雷弾薬飛行機を速やかに海中投棄」最大の問題は進駐軍が来日する前に厚木航空隊の反乱を鎮圧する事でした。