ダンサーであり俳優であり大活躍の大澄賢也さんです。 去年も12月にアメリカ・カンパニーと一緒にその『シカゴ』をやりまして。 少しセリフもあって全部英語で…。 自分にとってもブロードウェーのカンパニーと一緒にやるっていうのは夢だったのでそれでまあ一緒にやれるっていうのは…。 本当ですか?こういうふうにティーカップハンドってティーカップをこう…。 ティーカップハンドっていうんですか。 ボブ・フォッシー…アメリカでも特に『シカゴ』は難しいっていうふうにねいわれています。
それはともかくとして今度の奥様はお料理もお上手だし色んなこととてもよくおやりになる方なんですって?そうですね。 舞台終わったりお稽古終わったらもうすぐに家に帰って。 彼女寝てるんですが僕結構7時8時に起きるんですけど…。 その頃奥様お目覚め?その頃起きてきてで朝食は彼女が作ってくれるので作って。 前は奥様も本当に…前の奥様はほら踊ったりなんかするのが本式だから…。 本当に!?昨日黒柳さんのために作りました僕。
でも普通の人はカレーには入れません?でも本当に相当に辛いけど相当においしいですね。 大体どのぐらい梅酒この中に入れるの?その…そうですねこの量でしたらもう本当ちょっとなんですけど割と多めに作るので本当にこのグラスのこれぐらい…。 ブロッコリーとアスパラも入ってまして。 あとはどんな健康法?あとは…そうですね最近はもうお酒も…飲むんですが少量になりましたしもちろんたばこは吸わないですし。 でもやっぱり50になって結構正直体力的にはやっぱり20代30代のようにはいかないので。
さて大変ユニークなお母様についてなんですけど浜松であなたがあの…踊りを習いにダンススタジオにいらしたら…?17歳で踊りを始めた時に浜松にジャズダンススタジオができまして。 でもまさかそのタイミングで家の近所にできたスタジオに僕だけじゃなくて母親が通ってたっていうのは本当に思わなくて。 この時僕中学生なんですけどよく友達から「お前のお母さん八代亜紀さんに似てるな」っていうふうにすごく…。 今の男の子の全体とお母様が茶色く染めてらっしゃる髪の毛と全部が…。
じゃああの騒動の時はお母様どうしていらしたの?いやまあ…浜松にいましたけれどもちょっとこう…カラオケスナックのようなお店をやってたんですねおふくろが。 「一番の驚きは日芸大学在学中の「でもあの時の男性ダンサーとしての厳しいレッスンのおかげ」「涙と汗悔しさと芸能界という世界知りましたね」「私も少しは理解できました」「人生の半分これからが正念場」「自分におごることなく初心を忘れず和と親しさで皆様に夢を送り続けてください」「どうか体が資本ケガなく人生楽しんで進んでくださいね」いつもこんなふうに?そうですねはい。