本当に最後まで自分の足でも歩いてましたし仲がよくていらしたので与さんの会の時に時々お母様にお目にかかったんだけど大柄な方で大変にお元気そうな方でしたけど。 享年37歳と書いてあるように残念ですけど交通事故で亡くなった時お母様36でいらしたんですよね。 そのお二人をずっとお一人でお育てになりそしてあの田園調布のお家も…お父様の好きだった家もそのまんま何することもなくお二人を大学までお出しになってそれで育ててくださったという…。
父は自動車が大好きだったんですね。 「大好きな自動車で死んだからいいの」って言ったんです。 子供はずっと一生涯なんかわからないけどね一緒に乗ってた人を恨んで生きていったかもしれないのに全然そんなことないっていうのがねすごい。 あなたが今日…話違うんですがお召しのお着物はお母様の…。 お着物だったものをあなたが譲り受けてお召しになっていらっしゃる?譲られたというか私が勝手に着てるだけですけれど。 同じ着物を今日は着てきたんです。 よく母は着物好きで…。 同じ着物なんです。
さっきお父様とお母様のご結婚式の時の写真拝見しましたけどお母様あの写真をずっとベッドルームに掛けていらしたんですって?そうなんですはい。 今年はうるう年だったので29日があったんですけれど2月28日が母と父の結婚記念日だったので病室にケーキを買って持っていって。 で「食べる?」って言ったら…「結婚記念日だよ」って言ったら「相手がいなきゃしょうがないわね」とかって言いながらもケーキを半分食べたんですね。
檀ふみさんが『徹子の部屋』でちょっとお母様のことに触れていらっしゃるところがあるのでちょっと見ていただいていいですか?「弟さんの中井貴一さんとあなたが共演っていうことが決まった時何?嬉しかった?」「ある時恋人役が中井貴一さんって聞いたもんだからもう天にも昇る心地」「“貴一君私ではいかがでしょうか?”って言ったら貴一君は“お姉さんしだい”とか“お母さんしだい”とか仰るわけですよ」「この間お母様にお電話して…」「“お母様すいません。
それ以外の時はお母様非常に威厳のある凛とした方だったんであんなふうになりたいなと思うけどなかなかなれないんですって?そうですね。 でもあれですねその時お父様が亡くなった時にお花がお家にもうすごいいっぱい来てお庭中お花だらけになるぐらいいっぱいになったんでお母様お花駄目になっちゃったんですって?そうなんです。 でも田園調布のお父様のお好きだったお家を…まあ田園調布なんて本当にいいところにあるお家をお売りにならずに…。