本当にねファンでいてくださった方たちがたくさんいらして。 もうその方たちが祭壇にお花を捧げながら泣いてくださってるのを見た時にそれまで私午前中本当にケラケラ笑ってたんですけどそこで初めてちょっと涙が出てしまってなんてありがたいんだろうって思いました。 皆さんが本当にたくさんおはがき出してくださってあそこにたまった分だけで600通ぐらいあって全部読ませていただいたんですけどもう本当に父も喜んでると思います。 本当前の日も普通に笑って喋って元気そうだったのでなんか…。
あなたアナウンサーになるって…。 まあフジテレビのアナウンサーでいらしたんですけど。 あなたがアナウンサーになるっていう時には何にも仰らなかったの?何にもというか私も特に相談もしなかったので…。 次女はなんとフジテレビのアナウンサー。 何百人もの中をかき分けてアナウンサーにおなりになったというお嬢様の父でございます。 「母親」「娘の結婚」「娘の就職」「ヤッパンマルス」「日本人学校ジャカルタ」。 あっ「日本人学校ジャカルタ」からおはがきをちょうだいいたしまして。
それで新郎新婦がいなくてもね結構式次第っていうのは進むものですよ。 ただ披露宴は成り立ちますけどアナウンサーになるってなんて夢にも思わなかった。 結婚式とか披露宴嫌いだったんだけどやっぱりやらざるを得なくなって結構普通にやったんですけどたぶん父は認めたくなかったんでしょうね。 私の祖父…父の父も本当に手先が器用な人でなんか色んなものを作るの得意だったんですけどたぶん原稿を書いたりして煮詰まってると気分転換だったと思うんで…。
あなたのためにミルクティーを用意してまいりましたのでどかしていただけます?申し訳ございません。 入れ方ちょっと失礼でしたかしら?ボチャンとこっちまできたよ今。 これがですねその宮大工さんたちが集まって優勝したかんなくずなの。 それからこれはテレビ的にね…テレビ的にとても奇麗なんですよ。 今なんでこれを持ってきたかっていうと「ものづくりの国にしなければいけない」って日本はもう散々言っているのにものを作る能力が落ちてきてるけど昔の宮大工さんっていうことはこういうことを手仕事で簡単にできるんですよ。
「素敵な人だ」って今言おうとしたでしょ?今麻理さんがお母様から色々聞いてますってヘヘッて笑ったら「その笑い方何だよ」とかって言ってらしたけど何聞いてた?何聞いてたの?とても愛されてたんですよねやっぱりね。 でも晩年に書いた本を読んだら小沢昭一さんが「下手に遺言なんか残してああしろこうしろっていうのは残った家族に迷惑だからやめたほうがいい」って仰ったらしく結局なしです遺言。
僕ら昭和ひと桁って割合選挙そのものをいただいたというか絶好のチャンスで受け止めたけど今の若い人たちは最初からあるわけですからね行かなくなるのもわかるんですね。 戦争が終わって一応すぐのね選挙の時には僕ら…一番最年長だけどそれでもずっと下だったんですよ。