今日のお客様とお母様が名古屋見物にいらした時のことで今日のお客様が二十歳ぐらいの時だそうで。 それで今日は今までほとんどお聞きしたことのないお母様のことなど色々伺いたいと思いますが夫婦も40年ぐらい経ちますともう話題がなくなりますね。 「お父さん!ねえ私さ聞きたいことあるんだけど「お父さんねえ私の携帯知らない?携帯」「わからない言葉があるんだけど」「牛か?豚か?」「何言ってるの?大根かこんにゃく」「年金暮らしでしょ!」もう文句ばっかり言っております。
さて皆さんびっくりしたんですけどこの局で『報道ステーション』をやっていらっしゃる富川アナウンサー。 富川アナウンサーがすごく今有名…直撃取材をしてるんですって。 そういう時に『スーパーJチャンネル』という番組だったんですけどブレーク寸前にインタビューさせていただいたそのインタビューがございますので。 なんか…」「いかがですか?」「お久しぶりです」「なんか元気が…」「連日色んな取材があったり営業があったりこうやって高座に出たりもう本当に分刻みの仕事で。
でもお母様は…お母様は随分だけどお元気そうな方ですね。 それはともかくとしてですねお母様残念なんですけどちょっとお亡くなりになったんですけど。 91?その時にお母様が亡くなったという話をお聞きになって古里の…鹿児島?鹿児島の今の志布志市というところなんですけどそこへ帰りましてね。 お母様が亡くなったのは鹿児島なんだけどその時四国に…?そうです。 でもあれでしょ?お母様が亡くなったっていうことをお聞きになった時はやっぱりショックだったでしょ?やっぱりまた…何ていうんですか?父親とは違いますね。
でも300人もってね普通の有名人じゃない…あなたのお母様っていうことじゃなくて本当に…。 でもお母様も随分お働きになって元々お父様もそうだったんですけど農家の…?農家ですね。 ご幼少可愛い。 ご幼少は可愛いですね。 ご幼少の頃のほうが可愛かったですね。 でもそのご幼少のみぎりの坊ちゃんは本当に…何ですか?可愛い…お可愛らしいっていうね。 だからそういうことでずっと東京へ出てきてその下積みなさってた時もずっとお母様のお手紙で随分慰められた…?「真面目に生きなさい」。
それで布団結構あの当時高かったんですよね。 それで私チラッと見て本当は全部開けて見たかったんだけど弟と一緒に「もう燃やして」って。 燃やそうということで全部私が送ったものもみんな一緒に燃やしました。 だから洋服も何着かいっぱい送ったんですけど1着か2着着てあとは全部こう…何ていうんですか?ナフタリンっていうんですか?ええ。 もう全部ナフタリンの臭いがするんです。 なんかその…家に帰るとナフタリンの臭いがする。 高校生大学生なんか絶対追い付かないですね。 ものすごい一生懸命歩いても追い付かないですね。