徹子の部屋 ペギー葉山&菅原洋一

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この番組のまとめ

一日中お話ししても飽きないというまあ同じ年生まれっていうのはやっぱり戦争も体験しているとか色んな体験が一緒だっていうこともありますけどもやっぱり相性っていうのがあると思うんですね。 歌のジャンルは一緒?大体。 でも菅原さんの時あなた弔辞読む?はい。 でもあなた学生時代から歌ってらっしゃって平岡精二さんがこれお作りになったの?そう。 そうなの?そのほうが…「学生時代」がいいわって。 “学生時代”でいいよ」って言ってくれて。 やっぱり『学生時代』っていう題がいいですよね。

今はねなんか大学生は…皆さん大学に行くっていうことになってるけどあの歌を歌った時は…作った頃はまだそういう時代じゃなかった。 女の子が大学に行くっていうのだって珍しいっていう時代ですものね。 僕は音大出てからタンゴ歌手でデビューしたでしょ。 学生時代ってこんなふうだったの?写真。 菅原さんはもう本当にデビューしたあともそういう歌をたくさん歌われて賞を総なめにあなたなさってるじゃない?いやそんなことないですけどね。 兵庫県加古川っていう。 加古川?あんまりでも関西弁ないですね。 大学受験を目指してね…。

やっぱり歌えるということは私たち本当神様からねいい職業をいただいてるなって思うことあるわね。 亡くなった翌日ちょうど翌日の…お葬式の翌日がコンサートだったの。 でもう本当にうるうるなんですけれど途中で…結局2日間お香のそばにいたから声がもう出なくなっちゃったのね。 そしたらばミキサーの人が「とにかくなめてください」歌いながら神様力ください。 ちょうど『南国土佐』であっちこっちもう行って体調を崩して。

でもスローの曲だったんだけどちょっとラテンとかタンゴのリズムを入れて…。 もうすごく菅原さんの世界で。 彼が永さんと相談して八大さんと相談してどなたにってきっと決めたんじゃない?それでペギーさんにって初めは決めたんじゃない?そうですねきっとね。 私の?『芽生えてそして』。 今度また一緒に歌いましょうか2人で。 『芽生えてそして』いいね。 今度は僕?でもそうするとさ八大さんだし永さんだしみんなすごい喜ぶと思う。 『芽生えてそして』やれば?その時。 駄目?今度やりましょうね。