ぶっちゃけ寺 傑作選

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この番組のまとめ

真田幸村大石内蔵助の謎をお坊さん目線で紐解きます。 宿敵徳川家康を自害寸前まで追い詰め日本一の兵と呼ばれた伝説の戦国武将真田幸村。 今回は特に不遇だった幸村が輝いたラスト2年のミステリーを解明!番組では幸村が築いたという要塞真田丸の跡地を徹底リサーチ。 戦国武将の中でもまあ特に人気の高い真田幸村ですけれどもね。

これが真田家のものだとすると改めてここ一帯が真田丸の一部だった可能性も出てきますが…。 やはり真田丸があった場所はこの地なのか?このあとさらに証拠が登場。 真田丸という強固な要塞を短期間で造れたのは元々あった寺を利用したからではないのか?この仮説を心眼寺の住職に聞いてみると意外な言葉が!でかしたぞ。 最強の要塞真田丸を短期間で築けた理由。 真田丸自体はその寺町を利用して造られたという事もそれをお寺に…お大名は中に休むとかそういう事も可能だったんですね。

ホントだよ!謎が多い幸村ですが不遇の時代を経て打倒家康の思いを胸に歴史の表舞台に…。 さらに先ほど登場した最強の要塞真田丸もここで『ぶっちゃけ寺』では幸村の代名詞ともいえる赤い鎧に注目!甲冑姿の資料が残っている幸村最後の戦いとなった『大坂夏の陣屏風』。 ドラマやゲームでの真田幸村は大体赤い鎧を着けていますが…。 今回幸村の子孫と話をしたところ実は真田家の鎧は元々赤くなかったそうです。 こちらが真田幸村から数えて十四代目となる真田徹さん。

『忠臣蔵』ゆかりの寺そこにはドラマや映画ではあまり語られない事実が!大石内蔵助が討ち入りの前日に書いた手紙を発見!さらに2007年に発見された切腹絵図。 それを不服とした大石内蔵助が吉良邸に討ち入りを敢行。 主君浅野内匠頭の切腹と同時に赤穂を追われた大石内蔵助。 このお寺の中にですね赤穂を出た大石内蔵助が1年4カ月ですね住んでいたというふうにいわれている…。 当時大石内蔵助はいつか討ち入りするのではと幕府に警戒されていた要注意人物。

大石内蔵助が討ち入りに使ったと伝わるある工夫が施されていたんです。 という事で武器の長さまで慎重を期した大石内蔵助。 お家再興の願いが途絶えた内蔵助はいよいよ討ち入りを決意しともに参加する同志を選びます。 神文返しってなんですか?内蔵助はまず浪士たちに自分についてくるよう誓約書のような書状を書かせました。 内蔵助は死を覚悟した旅路の前に岩屋寺に眠る仏像を拝んだといわれています。 その仏像には内蔵助のある決意が…。

その内容とは?大石内蔵助が討ち入り前日に書いた手紙。 こちらが内蔵助が討ち入りの前日その思いをしたためたといわれる手紙。 実は神文返しを行ってからもそんな中大石内蔵助はリーダーとして最後の務めを果たします。 仇討ちに対し最後まで迷いを見せた大石内蔵助の意外な思いがわかると言います。 大石内蔵助という人物に少し触れる事が出来た気がします。 いつ吉良側からの追っ手が来るかわからないという状況の中でも内蔵助たちは主君への忠義を忘れなかったのです。