史上初となる、フリーでの2つのトリプルアクセルを成功させたのです。 トリプルアクセルダブルトウループ。 2010年から指導した佐藤信夫コーチは浅田真央イコールトリプルアクセル。 突然ですが私、浅田真央はフィギュアスケート選手として終える決断をしました。 いかに浅田真央選手が私たちにとって大きい存在なんだなというのを感じました。 フィギュアスケートグランプリシリーズではメインキャスターを務めます松岡修造さんです。 そしてプロフィギュアスケーターで解説者も務めています八木沼純子さんです。
日本中に大きな感動そして勇気を与えてくれました浅田真央さんのこれまでの歩みを秘蔵映像もたっぷり交えましてこれから、見ていきます。 まずは、浅田真央選手世界をあっといわせた15歳。 1990年、愛知県名古屋市に生まれた浅田真央。 後に代名詞となるトリプルアクセル。 2回のトリプルアクセルと15歳のグランプリファイナル制覇。 ミラクル真央になるためには最初のトリプルアクセルがうまく決まらないと次のトリプルアクセルにいけないですから難しくなりますから。 最初のトリプルアクセルがうまく決まるか。
名東フィギュアスケーティングクラブというところに遊びに行った。 本当に浅田真央とスケートが出会った運命の瞬間だったんですが名東フィギュアスケーティングクラブというのはこういった名選手がいるということでもちろん、お姉さんの舞さんもここの出身ですし2回、世界を制している安藤美姫さんもこのクラブの出身だった。 もともと、名古屋というのはフィギュアスケーターをたくさん輩出しているということで。
女子では3回転、3回転の2連続でさえも結構、難しいといわれている中でそして、そのあとVTRにもありましたが15歳で挑んだグランプリファイナルですね。 そもそもグランプリシリーズ2試合に出て世界トップ6に入らないとファイナルにはいけないわけでこのグランプリシリーズにデビューした、いきなり初年度にファイナルまでいったということなんですね。 当時の世界最高記録も持っていたという選手でファイナル、そしてこの2か月後に行われるトリノも金はスルツカヤじゃないかと当時いわれていた。
そして、グランプリファイナルのおよそ2か月後にトリノオリンピックがあって。 更に、浅田真央選手の存在がいろいろ誰がオリンピックに行くんだという議論が日本中で盛り上がりましたね。 ですからトリノオリンピックの最終選考会になった全日本選手権のときに本当に最終グループが世界選手権の最終グループじゃないかっていうくらいにすばらしいスケーターが日本もそろっていてオリンピックの最終選考会がかかっているし。 真央さんが勝ったグランプリファイナルの2か月後のトリノオリンピックのスコアです。
まさに本当にフィギュアスケートブームの火付け役とありますがただでさえ強いメンバーがいた中で15歳の新星がきたと。 だからフィギュアスケートっていうのは日本中全員に注目されるじゃないですか。 今、日本は本当にフィギュアスケート好きな人がたくさんいますけどもある意味、浅田真央選手が出てきたことってすごく大きな…。 後輩のスケーターの方を取材していても誰よりも練習するのが浅田真央選手だと言っていますもんね。
浅田真央選手は、本当に最後は、一番上の年齢の選手で若い子ばかりでなかなか、話せる選手がいないんだよねみたいな感じで面白く話してくれたりはしてましたけど。
僕、2006年のグランプリシリーズのアメリカ大会のときに一緒に出させてもらっていてそのとき、真央ちゃんのショートプログラム「ノクターン」という曲で滑っていたんですがそれを初めてアメリカで見たときに、すごく衝撃が走ってスケートって本当にバランスをとりながら進んでいく、本当に体力的にも大変なスポーツなんですけど全くそれを感じさせないような雲の上にいるような本当、すごいなって。 国際大会初の2度のトリプルアクセルが決まれば、驚異的な得点も期待できます。 勝負の鍵を握るトリプルアクセル2本。
トリプルフリップの転倒はありましたが完璧ですね。 いつもはちょっと回転が足りなかったりとか両足になってしまいましたけどやはりそれを直してくる2回入れてくるとかルッツジャンプもきちっと直してくるとか。 最初のトリプルアクセルからのコンビネーション。 2回目のトリプルアクセルです。 これはすばらしい得点!最初のトリプル、トリプル。 トリプルルッツトリプルトウループ。 トリプルアクセル。 トリプルフリップダブルループ。 銀メダリストとなった初めてのオリンピック。
VTRではバンクーバーまでの軌跡を見ていきましたがなんといってもライバル関係ということで浅田真央さんとキム・ヨナさん。 浅田真央選手といえばやっぱり、ジャンプが一番の持ち味ではあったんですが続いて、ジャンプの真央からステップの真央というふうに書いてありますが。 これだけの金メダリストを輩出しているこの方が浅田真央さんについては真央は私が教えてきたスケーターの中で最もすばらしい選手だというふうにおっしゃっていたんですね。
一番最初に信夫先生についたときというのはずっと練習しているんです。 聞きたいことがあるんですけどそれまで、浅田真央さんって1人で練習することが多かったんですけど男子と女子でカテゴリーは違うけれどもさっきもパネルで出てきたタラソワコーチ。 フリーで女子史上初の2度のトリプルアクセルに成功ということでどんどん、いろんな歴史を作っていくんですね。
それでは、福岡にいます鈴木明子さんと中継を結びます。 タイミング的にビックリしたというのはやっぱりまだまだ、ピョンチャンに向けてこれから仕上げていくんじゃないか活躍できるんじゃないかという思いでしょうか。 長女が鈴木明子さんで次女が浅田真央さんでここの何がおいしかったとか。 鈴木明子さんがいて高橋大輔さんがいて織田さんがいて安藤さんがいて僕がいて。
真央さん、どういうふうに見ていました?トリプルアクセルのジャンプとか。 それが毎回、毎回トリプルアクセルって入っているので。 浅田選手のときオリンピックのときって中継が最初から最後まであって普段見られないスケーターも全員、放送するので。
どんどん変わっていく様子とかってありましたか?2005年から取材していて、どんどんそこら辺、八木沼さんどう思います?やはり、どうしてもその鎖につながれてしまう感覚というのは選手は、確かに修造さんがおっしゃるとおりあると思うんですけどただ、浅田選手はもちろん明日、会見がありますしご本人の口から誰もがスケートのファンだけじゃなくていろんな人たちが日本の人たちだけではなくてだからこそ、みんな引きつけられてということなのかなと思いますね。 浅田選手から大きな影響を受けたという現在の世界女王ロシアのメドベデワ選手。
次はこのアクセルを跳びたいとか来シーズンにはもっと完璧な演技をするために練習しようとか思うんですけど去年の世界選手権が終わったあとはなんか、そういうのを思わなくて実は、その間こんな思いを抱えていた。 そこには、止まっていた時間を取り戻すかのようにひたすら滑り込む浅田真央の姿があった。 集大成として挑んだソチオリンピック。 勝負のトリプルアクセル。 浅田真央、勝負のフリーへ。 トリプルアクセル。 浅田真央のスケーティングです。 これはトリプルアクセルで判定していいと思うんですけれども。
滑走順が早かったし、しかもそのときトリプルアクセルをずっと失敗してた。 まさにこちらのスケーターのお二人はVTRを見て、1日でよくここまでっておっしゃっていましたがどうでしたか?さっき、小塚さんにも聞いたんですけど初日に失敗をしてしまって1日であそこまで完璧なフリーって自分の中である?って聞いたんですけど。 真央さんの表情もまた、複雑で。 なんでここまで何度も何度も逆境が真央さんを襲うのかなと思っちゃうんですけどそれを、ずっと修造さんは見てきたわけですね。
本当に浅田選手の人間性を感じたとおっしゃっていましたが具体的にどういうところが…?VTRにもありましたけど一度は辞めようと思った。 やっぱり、頑張っているからこそみんなが真央さんを支えよう支えようというものが彼女を前に進めたんだなというのを僕は一番感じますね。 ここまで国民に愛されている真央さんというのは私に対してもただのアナウンサーですけれども僕、真央さんの言葉で一番好きなのがありがとうございますって真央ちゃんすごく言いません?なんかあるとありがとうございますって。