ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実

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この番組のまとめ

アメリカは1946年から1958年にかけて最初の核実験場としてビキニ環礁を選定。 こちらはビキニで初めて行われた核実験最初は船や実験動物でもよかった。 アメリカがビキニ環礁で実験を敢行したキノコ雲ははるか成層圏を越え上空3万4000メートルに達した。 ロンゲラップ島民は水爆実験の2日後若者は白血病で亡くなり女性は死産や流産を繰り返した。 娘のレメヨ・アボンさんも13歳の時にロンゲラップ島で被ばく。 ちょうど今このロンゲラップ島の上空に差し掛かりました。 私たちはこれからこのロンゲラップに上陸します。

住民たちが戻ってきた時に雇用を作るようにという事で試験的に畜産をですねロンゲラップ出身だという警察官に話を聞いてみた。 このロンゲラップ島ではこの地面の表面部分…表土を25センチほど削って除染をしたといいます。 レメヨさんのお父さんのお墓はどこにありますか?ビキニの水爆実験で被ばくしたのはロンゲラップ島民だけではない。 静岡県の焼津港を出港した第五福竜丸は核実験場である事を知ってはいたが音というより…先に光が…。

死因について日本側の医師団は急性放射能症と発表したがアメリカ側はあくまで輸血治療による肝炎と主張。 第五福竜丸の被ばく報道があった翌日早速アメリカ側は動きました。 「第五福竜丸に関連する機密を保持してもらいたい」第五福竜丸元乗組員の見崎さんは当時病床でこんな思いをつづっている。 「日本政府は慰謝料200万ドルを全ての請求に対する完全な解決として受諾する」乗組員に渡された見舞金は1人平均200万円。 しかし第五福竜丸の乗組員はその後も後遺症に悩まされ続け23人中12人が肝臓がんなどで若くして死亡。

ロンゲラップ島出身の元国会議員アバッカさんは3年前福島県の葉広野富岡町を視察。 ビキニ南東沖にいた自国艦艇を避難させているがロンゲラップの島民には一切警告せず実験は強行されたのである。 そしてビキニに関する報告書はこのネバダ州にある核実験博物館に保存されていました。 プロジェクト4.1の報告書は人間が死に至る放射線量をおよそ225ラドと結論づけている。 帰島後残留放射能が被ばくを免れた人々をもむしばみ続けロンゲラップ島に再定住する者はいない。