徹子の部屋 戦場カメラマン沢田教一の妻・沢田サタ

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この番組のまとめ

撮影なすったのは日本人の戦場カメラマン。 今日はこの写真をお撮りになったカメラマン沢田教一さん…あそこに写真ございますが。 戦場カメラマン沢田教一さん。 昭和40年28歳の時に自費でベトナムに渡りベトナム戦争を追う戦場カメラマンに。 その年爆撃から逃げるため新聞などの印刷報道に与えられる最も権威のある賞でございますがその他にも数々の戦場写真で世界的な賞を数多く取っていらっしゃいます日本を代表する戦場カメラマン。 当時写真家とても数が足りなかったのでアメリカではいい日本の写真家とかね…。

それで彼はベトナムに行って写真を撮りたいというようになったんですけどその時とても反対?随分反対したんですけれども危ないところへ行くとかえって気を付けるからって。 当時ベトナム戦争に行くのに奥さんついていくっていうのは。 ちょっとベトナム戦争のVTRをちょっとご覧ください。 まあ本当にね大変な数の人間が…人数の人間がベトナム戦争で亡くなったと聞いていますけども。 でベトナムに彼が渡ったその年にピュリツァー賞を受賞しました。

それで子供たちをとにかくこっち側の…川のこっちで体拭いたりあと持ってたビスケットやなんかをね子供たちにあげたりなんかして。 それからしばらくなんか連絡がつく時は沢田さんはそこの家へ行って子供たちと会ったりなんかしてまあビスケットをあげたりとか色んな食べるものとかね…みんな元気でいるかどうかっていうことも気になっていらしたでしょうから。 そこに前にある写真は…これご主人が持っていらした写真機なんですか?これ中古で私が買ったカメラなんです。

でも聞かされた時もう絶対沢田は帰ってくると思ってましたしちょっと信じられなかったんです。 でだんだんと日にちが経つにつれてでも普段…今92歳でいらっしゃるそうですけどサタさんは健康法はどうやってるの?別に特に健康法っていってもないんですけどよくでも食べてますから。 なんかお菓子とかアップルパイとか色んなもの…。 あとベトナムへ単身で行った時もそうすると東京の支局にお願いしてベトナムへ行く人に持っていってもらったんです。 沢田さんの展覧会があります。