お母様はご覧になってもおわかりのように大正昭和を代表する新派の名女優初代水谷八重子さんです。
そういうふうな嘘じゃなくてもね「私はアメリカハリウッドへまいりましたらね「名犬リンチンチンの楽屋は私の楽屋よりずっといい楽屋でございました」とかって仰っていらしたんで目の付けどころが面白いなと思ってね。 舞台でね相当大きな地震があったの。 それなのにちょっと借家住まいをしてた時があって私の隣に母が寝ててその家でガタガタガタってきた時に自分の娘のおなかを踏み潰して自分一人逃げようって雨戸をガタガタやってた…。 水谷竹紫夫人なんだけどそのああちゃまっていう人が全部支度をしてくれて母に持たせるわけよ。
そうなの?『唐人お吉』山本有三さんの。 私が唐人お吉の若い時の役をやってあっ忘れられたっていうことはやっぱり母の身代わりっていうかアンダースタディーみたいなものじゃない?そう。 そんな新派の女優さんのねすごい方になる人だっていうのは全然知らなくて。 だって1台しかないピアノをみんなが行くから歌う前に数字書いてらしたわね。 でもあなたその数字書き終わった途端にベラベラベラって初めてじゃないみたいに歌って。 数字書くとすぐできるのよ。 「チャックもう一回歌って。 もう一回歌って」って頼んでお世話になりました。
だから勘彌さんはそういう人だと思って自分の荷物は弟子に持たせても父の晩酌用の一升瓶は母が抱えてたっていう…。 「そして十四世守田勘彌と結婚をしました」♪~「振り返れば遥か遠く」♪~「故郷が見える」芝居と母とをこう語ってそれで歌って。 随分長く病気と闘っていらしたんだって?2度自分一人で真正面からがんと闘ってそれで3度目までの間は12年色んな芝居がやれて3度目に骨にきて。 お医者様がね「2度真正面から自分で闘ってきたから3度目はもうつらすぎるでしょう」「あなたが背負ってあげてくださいよ」って。