さあ 若林研究員早いもので5回目の収録です。 大丈夫ですか?全然大丈夫です。 陸上の金メダリストを育て上げたぞ!今日の激レアさんは中学卒業と同時に15歳で布団職人の道に飛び込んだアオキさんは…。 ジョギング!ぜんそくでもジョギングって大丈夫なものですか?私には合ってたんですね。 なるほど!で ジョギングが日課となりまして…。 この時の思いというのは「もっといい布団が作りたい」そのためのジョギングという事なんですね。 ただ あくまでも布団のためのジョギングですよね。
速く走るためには 10キロよりは5キロが速くなった方がいいし5キロよりは1キロが速くなった方がいいしっていうふうに短距離走も頑張らないと長距離走に繋がらないぞっていう事を アオキさんはねひらめいたみたいなんです。 で 38歳のアオキさんは10キロマラソンに出場したんです。 でも お二人 ここまで聞いて普通のね 布団職人で素人さんだったアオキさんがなぜ ここまで勝てるようになったのか疑問じゃないですか?不思議です。
で アオキさん開発しましたけれども これで陸上界の反応はですね「素人のね 布団屋さんが何 言ってんだ?」と。 いいか? 全然相手にされなかったアオキさんだけどある運命的な出会いから時計の針が進み始めたぞ!アオキさん40歳の頃 転機が訪れます。 各大会を荒らし回っていたモンスター アオキさんなんですがとある大会でえ~!40歳。 高校生男子 クラスのみんなの平均を取ると6分ぐらい。 この高校生の「指導してくれませんか?」のオファーにもちろんアオキさん 乗りまして。
これ以降 アオキさんは実際に その器具私の後輩の山本研究助手が取材してきてくれたので皆さんでVTR 見ていってみましょう。 という事で数々の名選手を育て上げたトレーニングマシンを見せてもらいました。 こちらが中古品のエアロバイクを改造して作ったという速く走るためのトレーニング器具です。 どういうシステムなんだ?このマシンは両足首に10キロの重りをつけた状態で足を回転させるトレーニングをするそうで…。 というわけで山本研究助手にももちろん挑戦してもらいました。
1971年 清水は日本初の大規模ニュータウン大阪の千里ニュータウンの大丸ピーコックに配属された時の田中内閣は紙の節約を国民に呼びかけたトイレットペーパーにしたある日…なんとかトイレットペーパーを買いたいと200人以上の大行列が出来ていたしかし このあともっと大げさな大騒動が待っていた特売品の激安トイレットペーパーはすぐに完売清水は 特売タイムは終了といつもの値段のトイレットペーパーを棚に並べたポンコツおばちゃん探偵のとんでもない勘違いだが何十人もの主婦たちがトイレットペーパーに群がり世間の反応は清水の想像