今年も 本当に魅力的な方々がお亡くなりになりました。 お医者様の日野原重明さん。 若い頃ロカビリーをお歌いになる魅力的な平尾さんの姿も忘れられません。 もう 落語家になろうと思ったしアナウンサー…野球のアナウンサーになってねそれで 単純な理由なんですけどジャイアンツのファンでねそれで野球のアナウンサーになったら毎日 ジャイアンツの試合を見れるんじゃないかと小学校5~6年生の頃思いまして。 それでね 野球のアナウンサーになりたかった。 その影響は 私の叔父が平尾貴四男っていう作曲家だったんですクラシックの。
湖がいい?そしたら 日本レコード大賞の作曲賞をいただいたの。 だから布施君と出会わなかったら…あの『霧の摩周湖』が作曲賞をいただかなかったら本当に今日の僕はなかったと思う。 そして これを歌ったのが最後のラストチャンスで五木ひろしっていう名前になったのね。 それで なんで彼を気に入ったかというと『全日本歌謡選手権』っていうプロもアマも出られる10週 勝ち抜く選手権があったんです。 そうなの?それで その後山口洋子さんが また惚れ込んで。
不思議なんだけど平尾さんは平尾さんで曲だけ作って『瀬戸の花嫁』っていう題名は考えたんだけど。 毎日 俳句を一句 お作りになってそれを ブログに載せていらっしゃるという102歳の金原まさ子さん今日のお客様です。
なんかね 徹子さん 私ねそういうこと…なんか 結婚が好きで何回も何回もやってるみたいだけどそこには 年月というものがございましてね。 だから そんなにねコロコロ コロコロね…別に 一緒になって別れて一緒になって別れてじゃないんですけど。 徹子さんにしてみたら何回 結婚するんでしょう物好きなと思って…。 それが理想の形だとかってよく皆さん 仰るじゃありません?だから 若い時に年いった人と一緒になってだんだん 自分が年いったら今度 若い人と。
この漫才終わったら…。 ムラムラ?この漫才終わったらこいつ またあの若い女の家へ帰りよんなと思ったらだから この漫才が終わったら女のところに行くんだなと思うと だんだん…。 でも おぐしも 染めてもなんにもいらっしゃらなくてでも 後ろの毛が長くなったからそれを伸ばそうと…少し イメチェンをなさりたいっていうお気持ちなんだそうで。 日野原先生は長く生きていらっしゃるから色んなことがあったとも言えるんですけどよど号に乗っていらしたっていうのがね。 本当は 初め 北朝鮮に…福岡からお乗りになって北朝鮮に…。