1軒目のポツンと一軒家、こちらです。 最初のポツンと一軒家は、こちらですね。 なんと、いきなり目指すポツンと一軒家を知っている地元の人たちがこれだけ言うのだから間違いない。 福井福山人なる水墨画家が暮らしているという。 ということで、地元の人に教えてもらった新たなポツンと一軒家を目指し、探していた奈良のポツンと一軒家は空き家だとわかり、地元の人から聞いた別のポツンと一軒家を目指すことにした捜索隊。
恐らく、イイダさんが暮らすポツンと一軒家へ続いているであろう、細い山道を見つけた。 当初目指していた場所ではないものの、遂に奈良県のポツンと一軒家にたどり着いた!そして、そこで暮らす人にも出会えた!すいません、突然。 飯田さんが画家の福井さんからこの家を譲り受けた13年前には、山の斜面を耕し、農薬を一切使わない自然農法にこだわる飯田さん。 ヒッピーとは、1960年代後半にアメリカの若者の間で生まれ、世界中に広まったムーブメント。
衛星写真で見つけた三重県のポツンと一軒家を目指し、最寄りの集落から捜索開始!断崖絶壁に建つポツンと一軒家はどこにあるのか?手がかりを探すため海沿いを走る。 三重県の断崖絶壁に建つポツンと一軒家。 それはまさしく、太平洋の大海原を眼下に見下ろす断崖絶壁の上に建つポツンと一軒家。
断崖絶壁の崖っぷちまで軽トラックをバックで運転してきたのは…上村照美さん、61歳。 この人こそ、断崖絶壁のポツンと一軒家の主。 青いトタン張りのポツンと一軒家は、海女さんが漁の際に使う崖下の岩場に続く小道は海女さんが海へ下りるための道だった。 そこは、海女さんたちが身体を休め気持ちをリフレッシュするための大事な場所だった。 2キロ離れた集落から捜索開始!ここの家、ご存じです?残念ながら、お母さんが教えてくれたのは別の一軒家の情報だった。
一軒家に近づいてはいたのだが…知ってらっしゃるんですね~。 川まで戻り、川沿いのトンネルを抜けて山の反対側に出ればポツンと一軒家へ通じる道があるらしい。 この山道を登っていけば目指すポツンと一軒家まで行けるはずだ。 表札を見ると、最初に目指したが、空き家だったポツンと一軒家からは、およそ5キロ。 いわゆる「限界集落」が、ひと世帯を残すだけとなったのだ。 長野県の限界集落に暮らす牛越さんから聞いた新たなポツンと一軒家。
ということだったが、果たして…中から女性の声が!この人がポツンと一軒家の主、雛澤潤一さん、83歳。 突然、パジャマの胸ポケットに手を入れたかと思うと…よく用意してんな。 そこに書かれた雛澤さんの肩書きは「桜の里愛護会 代表」。 今年もまた大勢の花見客がやってくるのが楽しみだと雛澤さんが高らかに笑った。 次のポツンと一軒家、こちらですね。 宮崎県、その南西部に、案外、大富豪の人が世の中に飽きて、ちょっと周り、自然の中で、やっぱ、この山、一山持ってらっしゃるんじゃないですか。
思わぬところで腹ごしらえができて、再び出発!目指すポツンと一軒家はここよりももっとずっとずっと山の奥のようだ。 次から次にあらわれるおびただしい数の檻に驚いていた、そのとき!道の先に軽トラックが停まっていた!途中で家を間違えたりしたが、とうとう宮崎県の山奥に建つポツンと一軒家にたどりついた!やはり、この家で間違いないようだ!上から見てみると、今度はちゃんと三角屋根の左側に小さな屋根が突き出している。
俺、感動したい!新潟県のポツンと一軒家を目指し、雄大な山並みを間近に臨む田園地帯で目指す一軒家の情報を得るため、地元の人を探す。 新たなポツンと一軒家を目指して出発!私、市村と鹿賀丈史が何と夫婦を演じるミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」、日生劇場からまずスタートいたします。 衛星写真で見つけた新潟県のポツンと一軒家は、造林作業用として建てられた休憩小屋で、バイクで先導してくれるお父さんの後をついていくことに。 遂に新潟県の山の中のポツンと一軒家にたどり着いた。