徹子の部屋 宮本信子

戻る
【スポンサーリンク】
12:03:53▶

この番組のまとめ

文学座の演劇研究所時代の宮本さんと私は同期生でございました。 それで さっきも申したように文学座の演劇研究所では 同期生であなたは大変お若い…。 同期生といっても私 18で もう名古屋から出てきたばっかりで徹子さんは もう バリバリの…もう 本当に光り輝いていらっしゃる…。 あっ これ 文学座の研究所の…なんか みんなと一緒に行動するの嫌だったんですって? この時。 それで その時に あの…スクリーンに 必ず「編集 宮本信太郎」っていうお名前の方がお出になるんです。

なんか 千秋さんからの思い出に残る言葉とかって自分で言うのも ちょっとおこがましいので言えませんけど宮本信子さんが 『徹子の部屋』に初めて出てくだすったのは33年前のことでございました。 「あなたは 文学座の養成所でね私と同期の時はあなたは 本当にお若くてもう ピチピチで本当に もう ゴム毬のような方でいらしたけども伊丹さんの奥様におなりになって…」「12歳 年違うんですって?伊丹さんと」「ひと回り違う。

「子育て十三として 大変 まあ大変な方なんですが今日 私が お目にかかりに前から行きたいと思ってたんですけど 私のほうが伺えないもんですから今日は来てくだすったんです」「ご長男の前からお目にかかりたかった万作君ですけどもよくおいでくださいました」「こんにちは」「こんにちは」「あちら側がお父様そして こちら側が万作さん」「万作さんとお呼びするのがいい?なんとお呼びする…?」「万作君と呼んだほうがいいです」「そうですか。

もう あんなお顔ですからね伊丹十三の。 「亮子ちゃん」「連中は よろしくやってるよ」「ちょっと 長くかかるかもわからんぞ」「こういう時はね アベックを装うのが 一番いいんだよ」「どれだけ長く座ってても怪しまれない」フフフフッ。 徹子さん! 『タンポポ』がニューヨークで… 伊丹映画がDVDでアメリカで発売になって。 『タンポポ』も劇場で 4Kで30年ぶりに劇場でかかったんです。 で ニューヨーク行きましたらその劇場「SOLD OUT」って書いてあって。