ANN報道特別番組 東日本大震災から7年 スーパーJチャンネルスペシャル

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この番組のまとめ

今日は日本ペンクラブ会長ノンフィクション作家の吉岡忍さんとともに、ここ気仙沼向洋高校の旧校舎から東日本大震災ANN報道特別番組を「スーパーJチャンネルスペシャル」としてお伝えしてまいります。 気仙沼湾に隣接するホテルの屋上からはカツオの水揚げ量日本一を誇る気仙沼漁港が見渡せます。 当時の火災の恐ろしさを物語るものはほとんど残っていませんがこの気仙沼向洋高校は明治以来100年以上の歴史を誇る水産専門の学校で気仙沼の基幹産業である水産業に数多くの人材を輩出してきました。

港近くの高架道路から見えたのは防潮堤に迫る津波。 港にあった宮城県の合同庁舎の屋上から撮影された映像です。 当時、避難誘導した町内会長は…。 東日本大震災から7年がたちますがここには、被災した建物をはじめそのほとんどが当時の姿のまま残されています。 私たちはこれまで宮城県南三陸町の防災対策庁舎やさんさん商店街。 福島県南相馬市の小高区浪江町の請戸小学校などから被災地の現状や復興する姿を中継でお伝えしてきました。

つまり、津波がこの3階まで到達したときに車や、がれきがこのコンクリートをなぎ倒しそして、窓を壊して中に入ってきて私が今いる、この南側の校舎は職員室であったり保健室、専門科目の実習室などがありました。 当時、学校には1~2年生およそ170人教職員およそ50人内陸に避難していましたが当初、市の防災無線が津波の高さ6mと予測していたこともあって教職員と工事関係者ら合わせておよそ50人がこの校舎にとどまったのです。

冷蔵倉庫は奇跡的に校舎の一部にぶつかっただけで内陸へと流されていきました。 津波のすさまじさを今も残すこの校舎は気仙沼市が震災遺構として保存・活用することが決まっています。 多くの住民の方は津波や火災が来る前に高台に避難していました。 火が完全に消し止められたのはでは、消防隊の方はこの火災にどう立ち向かっていったのでしょうか。 消防隊の方は道路が塞がっていて近付くことができないうえそこで消防隊の方は高台にある貯水槽から1km以上にわたってホースをつないで消火したといいます。

震災直後から気仙沼の津波火災を調査・研究している東京理科大学大学院の関澤教授は、東北の沿岸部の多くの家庭で使われていたプロパンガスのボンベが出火の原因だったと指摘しています。 今日は宮城県の気仙沼からお伝えをしているんですが吉岡さん、この津波というのが岩手、宮城、福島と実際、歩いてみますとこの7年間の間に若い人たちが結構外に出て行って気仙沼特に漁業の町ですよね。 明治三陸大津波のときには2万3000人の方がそれに対して我々人間は無力なんですよね。

東北地方を中心に東日本を襲った未曽有の地震とそれに伴う津波により2万人を超える死者および行方不明者が生じました。 震災発生後刻々と伝えられる現地の状況と押し寄せてくる津波の映像は7年を経た今でも決して脳裏から離れるものではありません。 大震災からの7年間被災地において人々は幾多の困難を乗り越え手を携えて復興に向けての努力をたゆみなく続けてきました。 東日本で被災した人々の体験をもとに巨大津波の恐ろしさを当事者の目線でお伝えしています。