まあ 今年1月6日に83歳でお亡くなりになったお母さん 美年子さんですけども生まれてから ずっと 53年間お母様と一緒だった?そうなんです。 7歳から子役としてデビューなすって天才子役だったんですからそれは もう大変だったと思いますけどお母様 ずっと付き添ってくださってて?はい。 天才子役と呼ばれたが13歳の時設立した個人事務所が倒産し300万円の借金を背負ってしまった。 しかし 『3年B組金八先生』で妊娠する中学生を演じ話題となりその後 ドラマ『池中玄太80キロ』の挿入歌で歌った『鳥の詩』が大ヒット。
当時としては 大変なことでしょ?当時は 本当に途方に暮れるというかそれまで子役から作ってきた財産みたいなものは全部なくなってしまうんでそれの手続きをするのに母と一緒に手続きしようと思ったら母も もう 腰が抜けて立てないんです。 でも その時に 母がねただ もう 本当つらそうだったんでもう 私と妹で頑張らなきゃなと思って。 でも お母様「そういうふうに見せてないけど本当は すごく苦しいのよ」って仰った時もあるんですって?そうなんです。 でも 一生懸命 ご飯を食べて栄養をつけて。
急性増悪っていう呼吸器の そういう発作が起きて去年 やっぱり それで急性増悪でなってしまった時に肝臓も一緒に ちょっと肝炎を患ってしまってで もう ICUに入ってもう駄目かもしれないって…さすがに 今回は奇跡 起きないかなと思っていたんですけど長崎大学にいらっしゃった千住先生という方に出会いましてこれだけ重症でしかも 高齢な方だけれども手足が まだ動けるうちに呼吸器リハビリっていうのを…。 で なんか 脳梗塞とか脳溢血で倒れた時とはまた ちょっと違うリハビリの方法らしくて肺に負担を掛けずに…。
でも ずっと 自宅介護してらして自宅で みとりたかったんだけど12月に なんか 病院隣接の施設にお入りになることになって?で 家に帰る途中で もうやっぱり ちょっとそれで 次の転院先の病院で…なるほどね。 でもお母様は 白装束とか戒名とか全部用意してらしたんですって?そうなんです。 だから 本当に 亡くなった時に全部用意しててくれたので…。 なんか 全部が 本当に母の計画どおりというか全部 こう 会いたい人には全部会ってありがとうを… お礼を言って。
いやあ 仕事をしてる時はどっちかっていうと小さい時から もう日常生活みたいに仕事をしていたのであまり大変だと思ったことなかったんですけど。 なんか私 もう 一回… バツイチですし元々 結婚というものがねそんなに向いてる…日常生活が あんまり向いてると思わなかったものですから結婚すると思わなかったんですけど。 でも大事に育ててくださったお母様を今度 同居してるとヘルパーさんは なかなか日常生活は手伝えないっていう…法律が変わったんです。