あの人はこう見てた!

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この番組のまとめ

うまかった!日本のメディアを動かす大きなきっかけの一つになった当時皇太子だった陛下と美智子さまのご結婚。 民間人として 初めて皇太子妃になられた美智子さまの清楚で可憐な美貌に国民は沸き若い女性が こぞって髪形やミッチーブームが社会現象となった。 中でも 日本中のお二人の門出をひと目見ようと沿道には 50万人以上が詰めかけ街頭テレビの前には当時の日本の総人口のおよそ6人に1人1500万人が集まったといわれている。

こうしてベストポジションから陛下と美智子さまの撮影に成功した鈴木さん。 チャブさん?チャブさんとは一体 なんの事なのか?実は この発言織田さんが担っていた陛下とニックネームで呼び合う仲だった織田さん。 そして 陛下と織田さんが夏にテニスを楽しんだ軽井沢では熱心にテニスをされる美智子さまの姿もあった。 非常に… これは もう駄目なのかなとお思いになられて電話口は美智子さまが外国旅行から戻ってこられるのをお待ちになっていた陛下だった。

当時 横浜で小さな写真店を営んでいた浜口さんはもう二度とない華やかなパレードの写真を絶対に撮りたいと決意した。 シャッターを切った瞬間真っ暗になったと感じたのはしかし このスクープ写真を撮った事をきっかけに浜口さんは報道カメラマンとして活動を開始。 パレードから5年後には新潟地震の写真で内閣総理大臣賞を受賞するまでに。 そして パレードから10年後自身が撮りだめた写真を発売する際に報道カメラマンとして知れ渡る事になった。

現在 上野動物園のシャンシャンが大人気となっているパンダ。 そんな日本全体がパンダブームで浮かれる中…。 当時上野動物園で勤務していた獣医師田邉興記さん。 田邉さんはパンダの事をこう見てた。 そこにはパンダブームの裏で巻き起こった空前のドタバタ劇があった!上野動物園にはパンダをひと目見ようと大勢の人が来園。 ありがとうございます!こうして なんとか神経質なパンダは普通に薬を与えても飲まないだろうと牛乳に溶かしてカンカンに与えた。

ランランとカンカンの来日以降上野動物園では36年にわたりホァンホァンフェイフェイユウユウ トントンなど2008年までに9頭のパンダを飼育。 2008年4月リンリンが亡くなると上野動物園からパンダがいなくなり入園者数も前年より50万人も減少。 上野の石原都知事にパンダ招致の要望書を送った。 そして 子どもたちのパンダの絵を見て二木さんはパンダを上野に招致するためその絵を眺めるうちに二木さんはこれが 実際に描かれていた絵。