去年が坂本九さんの33回忌でございました。 今日は 九さんの奥様で私のお友達でもあります柏木由紀子さんとお嬢さんの大島花子さんそれから 舞坂ゆき子さんとお三人で おいで頂きました。 さて 遺作となった曲が知らないうちに有名になったっていう今日 珍しいお話致します。 でも 本当に柏木さんお変わりないように思うけどやっぱり 33年 頑張りましたよね。 この2人の年齢を聞くと本当 33年経ったんだなって。 お父様の お年齢を超えました。
「あなたは 学校の中でも…学校が始まって以来かどうかっていうぐらいのすごい子だったんですって?」「昔風に言うとガキ大将みたいなっていうか 聞かない子で…」「すごいんですって?」「すごかったみたいね」「幼稚園の頃から やっぱりねいわゆる番長って言われないと嫌だったわけ」「ハハハハッ」「おかしいでしょ?」「それも またイメージと違いますね」「そうかしら?」「番長と言われないと嫌だった子だなんてあなたは 見えませんよ」「そうですか?番長って呼ばれてたのが今度 川崎に引っ越す」「で 茨城から川崎に引っ越したわけ」
玄関入るなり 私がいる所に来て「ねえねえ ねえねえ由紀子 由紀子 今度の曲すっごい いい曲だよ」って。 それが中学生の方…中学生とか学校の先生からお手紙をすっごい頂くようになって。 それを聴いてた中学校の先生がすごくいい曲だって思って耳で… 耳写しっていうんですか?譜面を書いてで 生徒たちと歌ったらしいんです。 で 先生から道徳の時間に坂本九って どんな人かみたいなそういうものをやったらしいんですね。
ちょっと聞いて頂いていいですか?「僕たち… 『ペリー・コモ・ショー』って憧れたでしょ」「あれが彼が46歳だったんだそうですよ」「へえ~」「そうやって考えてみるとねまだまだ 僕が46までねあと6年ぐらいあると」「よ~し それだったら それまでにもっともっと勉強してねああいうショーをね…ああいうバラエティーショーをやってみたいっていうのが…」「本当にね」「そして この前 あなたがサンプラザでショーをなすった時にあんまり歌がお上手になってらっしゃるんでね」「声そのものがものすごくいいのであまりの事に私 驚いてす