「真正面 見てちょっとニッコリって感じで…」「どんな風に これから石原プロで やっていきたいっていうのはありますか?」「決意みたいなものは」「決意っていうのは すぐ…。 はい?フフフ…!「今年の1983年1月 元旦付でまあ… うちの仲間に入って一緒にやろうじゃないかという事が正式に決まりましたのでご報告申し上げます」「社長に対してはこういう方なんだな…あるいは 副社長の渡さんに対してこういう方なんだなという事どういう風に?」「社長は あの… とっても…」「とっぽいっていうか…」とっぽい…。
「それでは まず社長からですね新年のごあいさつをテレビをご覧の皆様にひと言だけお願いしたいんですけど」「1986年 おめでとうございます」「月並みですけども今年が皆様方にとって素晴らしい 輝かしい年になりますように お祈りします」「次は 若手でございまして。
こう… 割と 「社長 社長」っていけなかったんですね。 お前 じゃあ残って 社長の運転手やれ」って言われて。 キャデラックですね。 キャデラック。 で そこに 社長が…石原さんが ここにいて僕が こっちに座って。 それで 社長がいろんなの作ってくれて。 僕は… 「これが 社長でこれが渡で これが僕です」。 「ですから その向こうにある社長の背中が見えないんで…見えないんです」っていう話をしたんですね。
「『徹子の部屋』に 前に一度渡さんにはおいでいただきまして今回 おいでいただくようお願い申し上げましたところ1人じゃなんとなく怖いからってそこが私も わからないんですけど怖いからという事でもう1人という事で舘ひろしさんがご一緒に応援にいらっしゃったんで」「今日は品良くやろうなんて…」「そうなんですよ」「でも 裕次郎さんをはじめとしてなんか 皆さんねあなたの 今の会社の皆さんって皆さん デリケートね」「みんな もっとこう粗野な男の人たちがこう なんか集まってるイメージってあるじゃありませんか」「だから きっ
でも お父様は「医者になりなさい」みたいな事はなかったんですか?まあ… でも やっぱりおふくろはそういうプレッシャーはあったんじゃないですかね。 それで 千葉工業大学?はい そうですね。 お父様 亡くなるまで現役のお医者様…?そうなんですよ。 でも そうすると みんなが安心するというのが お医者様…。 それが本当のお医者様だっていう風にもね 思いますけど。 」「じゃあママからひと言」「長い間本当にお疲れさまでした」「ありがとう。