昭和36年から『夢であいましょう』はもっと長かったと思うんですが大体 生放送で5年間ぐらいはやってたみたいなんですけど。 中村八大さんと永六輔さんがお作りになってみんながそこで歌って。 そして 本当に生放送の楽しいバラエティーでございました。 当時としては なんかシャレてる番組という感じでみんなも一生懸命生放送でやりました。 田辺靖雄さんと九重佑三子さんじゃありませんか。 北島三郎さん。 北島三郎さんがお歌いになったのね。
このヤッチンとね このお二人がいつもね バスケットにねサンドイッチ持ってね 2人で。 本当は連れて行ってあげようかなって思ったけどあなたたちはサンドイッチで仲良く食べた方がいいっていう感じだったもん。 田辺さんがいて 九重さんがいて私がいてね坂本スミ子さんがいるんだけど。 あの洋服 1枚を私と坂本スミ子さんでね半分半分 着てたのよ。 だから あの洋服で大丈夫なの。 私と坂本さんと しょっちゅうね半分ずつしてね。
誰かが止めてくれれば私は それを振り切って帰るほど度胸はありません」「誰も止めないんだもん」「その時にねあーって思ったんだけど私がいたらば すぐ もうねああいう所で止めましたよ」「ああいう 暗闇でもいいから永さん どうしてなの?って」「ちょっと出てみようか じゃあ」「カメラさん いいですか?帰りますよ この人が じゃあ」「帰らせていただきます」「永さん お願いですから」「約束が違うんだもん」「だって お願いだから…」「やだって! やだって!」「永さん 怒んないで…」「やかましい!」「何が気に入らなかった
やっぱり マイクロホンいてくれないと困るっていう事をあそこで言ってるんだけどね…。 生放送の最中に。 あのね 永さんとね坂本九さんってすごく似てるの 雰囲気が。 で 坂本九さんは同じ会社で兄弟のように お仕事をあっちこっち行ってましたのでなんかね知らない人じゃないみたいにね。 すごく 坂本九さんと永さんっていうのはすごく なんか同じような色が…。 という事は つまり…これから どんどんアマチュアの… 素人の人がテレビに出てくると。 生放送だったから…。 生放送だったからね。