2018夏 ぶっちゃけ寺 特別ご開帳SP~西郷&幕末がよくわかる寺社大公開!〜

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この番組のまとめ

うわっ!うわーっ!うわあ すごーい!「うわっ すげえ!」「贅沢…!」「うわあ… すごいな」「こういう絵柄はもうないですね」『ぶっちゃけ寺』だからこそ撮影できた今夜限りの貴重映像特別ご開帳スペシャル!「いい時代になりましたよねこうやって…」構想1年半全国のお坊さんからの情報や有名なお寺への交渉を続け貴重映像の撮影に成功!この夏 行きたくなる西郷隆盛や幕末がよくわかるスポットをお坊さんと巡ります。

そもそも 曼荼羅とは仏教 特に密教においてそれが立体曼荼羅なのです。 そんな空海がおよそ1200年前に手がけた立体曼荼羅。 ♪~これが およそ1200年前密教をわかりやすく伝えるため平面に描かれた曼荼羅の世界を立体的に表した立体曼荼羅。 そして お坊さんから見ると四隅の四天王から西郷さんがここに陣を置いた理由が読み取れるそうです。 テレビ初の貴重な撮影に現在 修理中の国宝なんですが今回 特別にその様子を見せてもらえる事に!ちなみに こちらが修復前の屋根。

西郷の足跡をたどるとそこには 驚きの光景が!今夜は 貴重映像満載。 それでは いよいよ高さ55メートル西郷が登ったという日本一の五重塔へ。 西郷隆盛が鳥羽・伏見の戦いの時に五重塔から戦況を見つめた理由は?ここに 本陣を置いたんですけど西郷は もう 戦いが起こったっていう時でも心配で 心配で。 3代将軍家光公の寄進ですね。 すごい!こちらが特別公開の期間しか見られない五重塔の第一層。 この心柱は最上部まで貫いており五重塔を支える要です。 五重塔の構造は こちら。 私ね 全然こういう所は大丈夫。

そんな西郷隆盛の故郷鹿児島には10代からの10年間に毎日 坐禅を組んでいたといわれる場所が残されている。 17歳から28歳まで 若き日の西郷が坐禅を組んだと伝えられる貴重な岩とは?過去 西郷隆盛役を3度もやった宇梶さんが調査。 果たして西郷が坐禅をしていた岩とは?こちらが 西郷隆盛が10年間毎日 坐禅を組んでいたといわれる坐禅石。

このあとも 特別撮影だらけ!今夜限り! 貴重映像満載今年 千手観音像が国宝に指定された三十三間堂はそこには お坊さんですら息をのむほどの1000体の千手観音像が祭られる圧巻の光景が…。 三十三間堂が造られたのは平安時代の末期。 ひょっとしたら2人で仲良く この門を通り三十三間堂にも参拝したかもしれません。 長さ120メートル歩くと5分はかかる日本最長のお堂の中をそして 中央に祭られているのは「中尊」といわれる高さ3メートルを誇るこちらも国宝金を施された美しい 千手観音坐像。

そしてこの千手観音の手の数にも深い意味があるのです。 そして 千手観音というような事になっているわけですね。 平安時代末期に造られた三十三間堂は創建から およそ80年後大規模な火災に遭いお堂が焼失します。 千手観音は何を持ってるの?千体観音像に囲まれるようにお堂の中央に鎮座しているのが寺の人でさえ なかなかそばまで寄る事はできませんが…。 さらに千手観音の左右の40本の手には人々を救うためのたくさんの道具が握られています。

歴史が変わった その瞬間中でも これから向かう場所は相棒の大久保利通と倒幕の密談をしていたといわれる寺。 この部屋が 西郷さんがね大久保利通公とかねここへ お寺へ来られて新しい日本について 色々 お話を大久保さんと2人でね。 こちらが 大政奉還ののち西郷が明治2年に建てた薩摩藩士東征戦亡之碑。 お坊さんも涙する歴史が動いた場所大政奉還の間へ。 世界遺産に登録されているだけでなくその歴史上を とても重要な美しい建物や庭園が…。 まず 一行が向かったのは堀川通に面した 東大手門。

唐門を通った一行はいよいよ 大政奉還の意思表明がされた二の丸御殿へ向かいますが…。 お盆って 作法が色々あるけど結局 何をするのが一番大事なの?ご先祖様が帰っていらした時にケンカしてたら ご先祖様も心配になってしまいますので安心して くつろいで頂けるように仲良く過ごして…。 二の丸御殿は二条城で唯一残された家康当時 江戸時代初期の建物で国宝に指定されています。

それでは いよいよこの絵に描かれた大政奉還の意思表明が行われた大広間へと参りましょう。 こちらが1867年 15代将軍 徳川慶喜が大政奉還の意思を表明した大広間。 こうして 時代の変わり目を迎えた大政奉還ですが徳川慶喜がこの二条城を去る時はどんな気持ちだったのでしょうか。 慶喜が大政奉還を表明したあとに最後に去って行った門が慶喜は 二条城を去る際に正門ではなく裏口に当たる西門から静かに去っていったといいます。

当日 そこもですねわざわざ 扉を開けて頂いて美意識が再現されたところにここからは大政奉還に関わった2人最後の将軍 徳川慶喜と西郷隆盛。 今夜限り! 貴重映像満載の2016年の世界遺産登録以降注目度上昇中の上野。 徳川家を支え 江戸幕府260年の終焉を見届けた寺上野 寛永寺。 お坊さんによると実は 現在の上野一帯は江戸時代は全て寛永寺の敷地だったそうです。 激動の時代を見届けた寛永寺に残る慶喜謹慎の間や歴代将軍の貴重な墓などこの夏お参りに行きたくなる上野の参拝スポットを巡ります。

オッケーっす!ああ いい感じ!上野公園を満喫した一行は現在の寛永寺境内へ。 ここからは慶喜謹慎の間や歴代将軍の墓など普段は見られない貴重な場所の連続です。 こちらが 寛永寺の本尊薬師如来像を祭る根本中堂。 そう! 本尊の両脇には薬師如来を守る神々古坂さんが大好きな十二神将が勢ぞろい!では 近くにご案内致しますね。 そんな慶喜が歴史の転換期を過ごした部屋が当時と ほぼ同じ位置に残されているんです!日本の歴史上 最後の将軍徳川慶喜が謹慎していたその部屋とは?ほら!そんなに大きくはないの。

この寛永寺には歴代将軍6人の墓があります。 実は 寛永寺に眠る徳川歴代将軍は驚きの方法で埋葬されているんです。 寛永寺に眠る歴代将軍 全てが公家の衣装に身を包み座ったまま 江戸城を向いて埋葬されているといいます。 続いては 13代将軍 家定と大河ドラマでもおなじみ正妻 天璋院篤姫の墓。 こうして 歴代将軍の墓参りを終えた一行ですが…。 そこには 計り知れない江戸時代から伝わって脈々と生きてるものが渋沢栄一によって慶喜公の気持ちも伝えられているような気がしますね。